戦争と昭和製鋼所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/02 04:45 UTC 版)
太平洋戦争中はその戦略的重要性から、1944年7月以降、成都市を基地とするアメリカ陸軍航空軍のB-29による爆撃を受けており、昭和製鋼所は減産を余儀なくされた。ただし、日本国内への爆撃が軍需設備の壊滅目的だったのに対して、昭和製鋼所への爆撃は燃料系統の破壊など「操業できなくさせる」ことを狙った爆撃であったため、設備の直接被害はそれほど大きくなかった。 日本の陸軍は昭和製鋼所防衛のために、陸軍の飛行第104戦隊の中から第1中隊を派遣した。この中隊には制式採用間もない四式戦闘機が配備されていた。 爆撃を行ったB-29のうち、ハワード・ジャレル大尉の操縦する機が日本の陸軍航空隊の攻撃を受け損傷したが、日本軍の支配地域ではなく中立国だったソビエト連邦のウラジオストクに着陸した。しかし乗員全員が逮捕されB-29は捕獲された。この機体の研究は、ツポレフTu-4戦略爆撃機が誕生するきっかけになった。
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