陸軍航空総監部の創設
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「陸軍航空本部」の記事における「陸軍航空総監部の創設」の解説
1937年(昭和12年)までに陸軍航空は充備を進め、指揮系統では天皇に直隷する航空兵団長が全航空部隊を統轄することとなり、軍政面では航空本部の権限が強化され、教育においては航空兵科士官候補生のため所沢に陸軍士官学校分校が開設された。しかし陸軍航空には中核となる機関が存在せず、「航空省」を創設する案なども検討されたが実現には至らなかった。同年7月の日中戦争(支那事変)勃発により、空軍独立を究極の目標とする航空関係者の論調は地上作戦協力を重視する慎重なものへ変わっていった。 1938年(昭和13年)、こうした中で航空兵科専門教育を専任する天皇直隷機関として「航空総監部」を創設して陸軍航空の中核的機関とする案が参謀本部および陸軍省内で立てられた。これは陸軍航空には画期的なものとなるが、陸軍の伝統である教育統一を崩すものであるとして教育総監部は強く反対した。しかし陸軍中央の主流には航空教育の特殊性に対する理解が深まっており、陸軍省軍務局の田中新一軍事課長、あるいは東條英機陸軍次官(航空本部長兼務)による推進が決定力となった。 同年12月9日、陸軍航空本部令改正(勅令第743号)が、翌10日には陸軍航空総監部令(軍令第21号)が施行され、陸軍航空総監部(以下、場合により航空総監部と略)が創設された。その主な目的は航空総監部令の理由書に「陸軍航空兵科軍隊ノ愈々複雑且専門化セルニ伴ヒ之ニ専任スル天皇直隷機関ヲ新設シ陸軍航空兵科軍隊教育ノ進歩発達ヲ図ルノ要アルニ因ル」と書かれているように、専任の機関を設けることで航空教育の特殊性と膨大化に、より良く対応させることであった。また航空総監を天皇直隷とし陸軍航空の中核的存在とすることで、陸軍内における航空の地位を高めることにもなった。 これにより航空兵科の本科専門教育に関する事項は航空総監部へ移管され、航空本部の担当外となった。しかし航空総監部の実態は航空本部と「二位一体」であり、航空総監は航空本部長を兼務し、航空総監部の人員(1938年12月時点の定員は42名)は3名を除きすべて航空本部の総務部および第一部の部長と部員が兼務するものであった。
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