陸軍航空学校明野分校とは? わかりやすく解説

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陸軍航空学校明野分校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 18:02 UTC 版)

明野陸軍飛行学校」の記事における「陸軍航空学校明野分校」の解説

詳細は「所沢陸軍飛行学校#陸軍航空学校」を参照 1919年大正8年4月フランス航空団教育指導並行して陸軍航空現業軍政専門教育統轄する陸軍航空部設立され同時に所沢陸軍航空学校開設された。同校学生甲種乙種丙種にわけられ、そのうち丙種学生機関工術、射撃爆撃等の修習をする学生であった同年10月までにフランス航空団教育終了したが、陸軍航空部教育実施立地重視し、また所沢陸軍飛行場広さが十分ではないことから空中射撃教育所沢以外で継続的に行うこととした。しかし新居町施設狭く代替地選定しなければならなかった。当初米子町鳥取県付近小川原沼(青森県付近浜名湖静岡県付近八郎潟秋田県付近猪苗代湖福島県付近、および宇治山田市三重県郊外明野ヶ原候補地とされ、気候地形飛行場建設する場合土質人口密度その他の条件により明野ヶ原決定した同年12月陸軍航空学校教育部操縦機関観測射撃爆撃の各分科教育班設け同校教官赤羽少佐射撃班長となった1920年大正9年3月陸軍航空学校教育部射撃班は宇治山田市内に仮事務所設置したのち、同年4月より明野ヶ原正式に三重県度会郡)で将校9名、軍属工員21名により業務開始し空中射撃教育行った同年8月射撃事務所度会郡北浜村建てられ施設移転した。この当時より同施設陸軍航空学校の「射撃分校」と呼ばれていたことが確認できる。ただし、この「射撃分校」は陸軍航空学校条例によらない非公式なものであった1921年大正10年3月陸軍航空学校条例改正軍令第1号)の施行により正式に分校の設置が可能となり、同年4月三重県度会郡北浜村現在の伊勢市北部)に陸軍航空学校明野分校が設置された。同分校では条例改正新たに規定され特種学生、あるいは召集尉官等の教育が行われた。

※この「陸軍航空学校明野分校」の解説は、「明野陸軍飛行学校」の解説の一部です。
「陸軍航空学校明野分校」を含む「明野陸軍飛行学校」の記事については、「明野陸軍飛行学校」の概要を参照ください。

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