航空兵
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航空兵(こうくうへい)は、軍隊における兵科の一つ。航空機を用いて偵察・攻撃を行い、それに伴う整備も受け持った。
- ^ a b 超精密3D CGシリーズ20 日本海軍航空隊 4~13頁(双葉社、2004年)
- ^ a b c d e f g h 別冊歴史読本26 日本の軍隊 陸海軍のすべてがわかる 76~81頁(新人物往来社、2008年)
- ^ 航空ファン別冊ILLUSTRATED №38太平洋戦争 日本海軍機 154~157頁(文林堂、1987年)
- ^ a b c 太平洋戦争 陸海軍航空隊 大空を疾駆した無敵の銀翼 112~115頁 飛行機乗りへの道(成美堂出版、1999年)
- ^ 別冊歴史読本26 日本の軍隊 陸海軍のすべてがわかる 90頁(新人物往来社、2008年)
- ^ 歴史群像シリーズ [図説] 日本海軍入門 23~26頁 階級と兵種(学習研究社、2007年)
航空兵科
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1935年(昭和10年)11月施行の陸軍補充令改正(勅令第264号)により、それまで陸軍士官学校で教育を受けることになっていた航空兵科少尉候補者は、埼玉県入間郡所沢町の所沢陸軍飛行場内に新設された陸軍航空技術学校で丙種学生として教育を受けると定められた。 1937年10月、航空兵科の少尉候補者教育は陸軍航空技術学校にかわり、同じ所沢陸軍飛行場内に「航空兵科将校トナスベキ生徒及学生ノ教育ヲ行フ」ため設立された陸軍士官学校分校で行われることとなり、第18期49名が入校した。翌1938年(昭和13年)5月、同分校は埼玉県入間郡豊岡町に移転し12月に陸軍航空士官学校として独立、以後の航空兵少尉候補者は陸軍航空士官学校で学生として校外に居住し教育を受けた。 航空兵科の少尉候補者教育は訓育、学科、術科、校外教育があり、その内容は入校期による修学期間の長短に影響され異なる場合が多かった。学科は戦術・軍制・築城・兵器・通信・気象などの軍事学と数学・物理などの普通学があったが普通学は多くの場合に省略された。術科は剣術・体操・陣中勤務・射撃・通信などがあり、校外教育には現地戦術(地上)や陸軍の諸施設・部隊の見学などがあった。また操縦者には技量保持のため若干の飛行訓練が割り当てられていた。 1940年12月、陸軍航空士官学校においても特別志願将校学生が入校したが、同校では種別による区分はせずに、両学生を正式名称で呼ぶことで混同を防いだ。1942年6月入校の第22期学生より居住を校内に改められた。ただし妻帯者は校外の官舎に家族を置き土曜日の午後から日曜日の夕刻までの「帰宅」を許された。 1944年5月、陸軍航空関係少尉候補者教育令(勅令第344号)によって航空関係の少尉候補者は各部隊において己種学生として毎年2回採用し、約6か月の修学期間をもってそれぞれ教育することに改められた。この時在校中の第24期後期少尉候補者学生625名は各地の実施学校での教育に移り、以後の少尉候補者教育は陸軍航空士官学校で行われなくなった。
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