ドイツ帝国軍とは? わかりやすく解説

ドイツ軍

(ドイツ帝国軍 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 16:26 UTC 版)

歴代ドイツ軍のマークとして最も著名な鉄十字

ドイツ軍(ドイツぐん)は、近代から現代にかけてドイツにおける軍隊、つまり通称で言うところの「ドイツ軍」の正式な名称の変遷と、曖昧さ回避のためのページ。

概説

ドイツは、ヨーロッパにおいてイタリアに次いで近代的な国民国家の形成が遅れた国であり、統一国家の成立は1871年1月18日ドイツ帝国)であった。その後、ドイツは2度の世界大戦の敗北とそれに伴う政治体制の変転(ドイツ帝国ヴァイマル共和政ナチス・ドイツ)を経験したばかりか、第二次世界大戦後冷戦体制では東西分断米英仏ソ連合軍軍政期西ドイツドイツ民主共和国再統一後:ドイツ連邦共和国)の憂き目を見ることとなった。

政治体制の変動に伴い、軍隊に託す目的、軍隊に課す制約もまた変化した。これが軍隊の名称にも反映されている。

過去
現在

プロイセン王国(1701年-1871年)

プロイセン王国陸軍旗(1816年)

プロイセン王国時代の名称。

北ドイツ連邦(1866年-1871年)

プロイセン軍旗(1867年-1871年)

北ドイツ連邦時代の名称。

ドイツ帝国(1871年-1918年)

ドイツ帝国軍旗(1903年-1918年)

ドイツ帝国時代の名称。

ヴァイマル共和国 (1918年-1933年)

ヴァイマル共和国軍旗 (1921年-1933年)

ヴァイマル共和国時代の名称。

1918年~1935年のドイツ軍の総称。Reichswehr の名称は、アドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)が1933年政権を奪取した後も1935年のドイツ再軍備宣言までは引き続き使用された。英語ではこの時代のドイツ軍の名称の逐語訳を避け、ドイツ語原語をそのまま利用している。あるいは、やさしく表現する必要のある場合は西暦で区別して、"German Armed Forces 1918-1935" と表現する。

ナチス・ドイツ (1933年-1945年)

ドイツ国防軍旗(1938年-1945年)

ナチス・ドイツ時代のドイツ時代の名称。

国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP, ナチス)が政権を掌握してからドイツ降伏英語版までの、いわゆるナチス・ドイツ時代のドイツ軍の総称。

アドルフ・ヒトラー総統は政権奪取の2年後の1935年にヴェルサイユ条約の軍備制限条項を破棄、再軍備宣言をする。そして、軍隊の総称を Wehrmacht に改名すると共に個々の軍種も改称された。英語ではドイツ語原語を用いるか、あるいは"German Armed Forces 1935-1945" と表現することもある。

また、同時代にはナチ党の党軍として武装親衛隊 (Waffen-SS) が編成されており、国防軍と共に第二次世界大戦の戦闘にも従事した。

ドイツ民主共和国(東ドイツ)(1956年-1990年)

ドイツ国家人民軍旗(1956年-1990年)

ドイツ民主共和国(東ドイツ)時代の名称。

連合軍軍政下のドイツソ連占領地域から1949年に独立したドイツ民主共和国(東ドイツ)のドイツ軍の総称。

再軍備自体は1949年頃から始まっており、兵営人民警察 (Kasernierte Volkspolizei) なる内務省所属の準軍事組織を経て、1956年に国家人民軍が編成された。国境警備隊は当初は内務省の指揮下にある独立した戦力であったが、後に管轄が国防省へ移され、一時は国家人民軍の一軍種とされた時期もある。1990年ドイツ再統一により廃止された。

英語では逐語訳された"National People's Army"という表現の他、単に"East Germany Army"すなわち東ドイツ軍と呼ぶ場合もある。

ドイツ連邦共和国(西ドイツ、再統一後)(1955年-現在)

ドイツ連邦軍旗(西ドイツ、再統一後)(1955年-現在)

西ドイツ時代(1955年-1990年)、再統一ドイツ連邦共和国(1990年-現在)の軍隊の名称。

連合軍軍政下のドイツの米英仏占領地域から1949年に独立したドイツ連邦共和国、すなわちかつての西ドイツと現在のドイツにおける軍隊の総称。1955年の主権回復宣言後に再軍備を行い、連邦軍が編成された。英語では "German Armed Forces 1955-" と表現される。ドイツ連邦軍はプロイセン軍、ドイツ国防軍ほか過去のドイツの軍隊の後継組織ではなく、これらからは断絶した新設の軍隊とされている。(詳細は「ドイツ連邦軍#伝統」を参照)

なお、現在のドイツ連邦軍は戦力の大半をNATOに提供しており、ドイツ連邦首相および国防大臣はNATO供出のドイツ連邦軍に対する指揮権を持たない。この事実は、過去2度に渡る戦火の発端としてのドイツ、また強力な軍であるドイツ軍に対しての恐れの表れでもある。ドイツ国内においては、ドイツ連邦軍の指揮権が外国人(非ドイツ人)に握られていることに対しての反発も少なからず存在している。

戦歴

参考文献

  • 濱田常二良(毎日新聞社ドイツ特派員〈1935-1940年〉) 『独逸軍部論』 昭和刊行会、1940年

関連項目


ドイツ帝国軍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 04:27 UTC 版)

元帥 (ドイツ)」の記事における「ドイツ帝国軍」の解説

1870年10月28日普仏戦争活躍したプロイセン王子フリードリヒ・カール・ニコラウスおよびプロイセン王太子フリードリヒ・ヴィルヘルム対し Feldmarschall の地位与えられた。これはプロイセン王族が元帥となった最初事例だった(それまでプロイセン王国においてはプロイセン王族には元帥位を与えない伝統があった)。以降帝政ドイツ時代には総計40名の元帥誕生している。この時代元帥杖は軸の部分空色であったドイツ帝国 陸軍元帥 (Feldmarschall) 一覧氏名任官年月日任官時の役職プロイセン王子フリードリヒ・カール・ニコラウス 1870年10月28日 第2軍司令官 プロイセン王太子フリードリヒ・ヴィルヘルム 第3軍司令官 エーベルハルト・ヘルヴァルト・フォン・ビッテンフェルト 1871年4月8日 カール・フリードリヒ・フォン・シュタインメッツ 第1軍司令官 伯爵ヘルムート・フォン・モルトケ 1871年6月16日 参謀総長 ザクセン王太子フリードリヒ・アウグスト・アルブレヒト 1871年7月11日 パリ占領軍司令官 伯爵アルブレヒト・フォン・ローン 1873年1月1日 プロイセン王国首相 男爵エドヴィン・フォン・マントイフェル 1873年9月19日 パリ占領軍司令官 伯爵レオンハルト・フォン・ブルメンタール 1888年3月15日 第4軍団司令官 ザクセン王太子ゲオルク プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニコラウス・アルブレヒト 1888年6月19日 第10軍団司令官 オーストリア大公アルブレヒト・フリードリヒ・ルドルフ オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世 1895年2月27日 伯爵アルフレート・フォン・ヴァルダーゼー 1900年5月6日 ハノーファー第3軍局長伯爵ゴットリープ・フォン・ヘーゼラー 1905年1月1日 ヴィルヘルム・フォン・ハーンケ 男爵ヴァルター・フォン・ローエ 初代コノート公爵アーサー 1906年9月9日 イギリス軍監察長官 ルーマニア王カロル1世 1909年4月20日 マックス・フォン・ボック・ウント・ポーラッハ 1911年1月1日 伯爵アルフレート・フォン・シュリーフェン 男爵コルマール・フォン・デア・ゴルツ ベルリン第7軍局長イギリス王ジョージ5世 1911年5月16日 ザクセン王フリードリヒ・アウグスト3世 1912年9月11日 ギリシャ王コンスタンティノス1世 1913年8月8日 パウル・フォン・ヒンデンブルク 1914年11月2日 第8軍司令官 カール・フォン・ビューロウ 1915年1月27日 第2軍司令官 オーストリア大公フリードリヒ 1915年6月22日 アウグスト・フォン・マッケンゼン 第11軍司令官 バイエルン王ルートヴィヒ3世 1915年6月26日 ヴュルテンベルク王ヴィルヘルム2世 1916年7月23日 バイエルン王太子ループレヒト 1916年8月1日 バイエルン王レオポルト 1916年8月1日 第9軍司令官 ヴュルテンベルク公アルブレヒト ブルガリア王フェルディナント 1916年1月18日 オスマン皇帝メフメト5世 1916年2月1日 伯爵フランツ・コンラート・フォン・ヘッツェンドルフ 1916年 オーストリア=ハンガリー帝国参謀総長 オーストリア皇帝カール1世 1917年2月12日 ヘルマン・フォン・アイヒホルン 1917年12月18日 レームス・フォン・ヴォイルシュ 1917年12月31日

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