臨時軍用気球研究会とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 臨時軍用気球研究会の意味・解説 

臨時軍用気球研究会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/02 10:11 UTC 版)

臨時軍用気球研究会(りんじぐんようききゅうけんきゅうかい)は、日本の海軍が設置した気球飛行機の軍事利用の研究会である。

概要

世界の航空軍事の進展に伴い、日本軍においても研究の必要性が認識され、臨時軍用気球研究会官制(1909年明治42年)7月30日勅令第207号)により設立された。1909年8月30日に海軍大臣から訓令が発せられ、研究会の目的を遊動気球と飛行機に関する設計試験、操縦法、諸設備、通信法の研究と定められた。同年11月末ころに具体的な研究方針が定められ、次の12の研究部門が設置された[1]

  • 第1部 気象 - 高層気象観測・観測法・飛行気球用観測器の研究
  • 第2部 設備 - 土地買収・建築・器具機械等の据付・土木工事等
  • 第3部 気流 - 気嚢の形状・翼の曲度・飛行・舵・安定板・螺旋翅の研究
  • 第4部 構造 - 吊船・骨・骨組・乗座等の研究
  • 第5部 材料 - 球皮・素材・水素・燃料等の研究
  • 第6部 発動機 - 構造・効率・据付法等の研究並製作
  • 第7部 螺旋機 - 形状、材料、位置、発動機との連結の研究並製作
  • 第8部 製作 - 各部の研究・製作を総合し気球と飛行機を製作・組立
  • 第9部 航空 - 気球並飛行機の操法・経緯測定法・気象観測法・航空地図の作業
  • 第10部 通信 - 飛行気球間の通信・気球と地上との通信・夜間通信法等の研究
  • 第11部 写真 - 望遠写真・写真偵察の研究
  • 第12部 名称 - 各部門術語名称の決定・術語集の編纂

各研究部門は定められたが、研究会には専用事務所はなく、航空技術の本格的な研究を実施できる環境にはほど遠い状況であった。当初、研究は気球に重点が置かれていたが、大正期に入り飛行機に重点が移された。

研究会は陸軍主導で運営されたため、海軍側の意向が反映されにくい状況があった。そのため、海軍では1910年(明治43年)頃から研究会とは別途に航空研究を実施すべきとの意見が上がり、1912年(明治45年)6月に航空術研究委員21名を任命し追浜で独自に研究を開始した。1915年大正4年)7月、海軍は陸軍に対して研究会の廃止について内協議を行ったが、陸軍側は研究会の存続の意向を回答した。海軍はこの回答を受け研究会の廃止の主張を取り下げたが、1916年(大正5年)には事実上研究会を退会した[2]。その後、文部省東京帝国大学内に航空研究所を設置し、研究会は陸軍単独で運営される状況となった。

1919年(大正8年)4月、陸軍航空部が設立されたことに伴い、1920年(大正9年)4月、田中義一陸軍大臣は加藤友三郎海軍大臣に研究会の廃止を提議し、研究会は内閣の承認を経て同年5月14日に解散した[3]

研究会構成

歴代会長
委員
  • 帝国大学
田中舘愛橘東京帝国大学教授(1909年8月28日 - 、1917年4月27日[4] - )
井口在屋:東京帝国大学教授(1909年8月28日 - )
横田成年:東京帝国大学助教授(1909年12月6日[5] - )
中村精男:技師(1909年8月28日 - )
  • 陸軍
井上仁郎:工兵大佐・工兵課長(1909年8月28日 - 1916年3月31日[6]
徳永熊雄:工兵少佐気球隊長(1909年8月28日 - 1916年7月25日[7]
有川鷹一:工兵少佐・陸軍砲工学校教官(1909年8月28日 - )
日野熊蔵歩兵大尉東京砲兵工廠付(1909年8月28日 - 1911年12月1日[8]
笹本菊太郎:砲兵大尉(1909年8月28日 - 1910年2月8日[9]、砲兵少佐:1912年10月9日[10] - 1916年7月25日[7]
郡山真太郎:工兵大尉(1909年8月28日 - )
徳川好敏:工兵大尉・気球隊付(1910年3月26日[11] - )
草刈思朗:工兵大尉(1910年7月22日[12] - 1915年3月4日[13]
武内徹:工兵大佐(1910年12月22日[14] - 1911年12月27日[15]、中将:1916年8月18日[16] - )
松井順:工兵少佐(1910年12月22日[14] - )
石本祥吉:工兵大尉(1910年12月22日[14] - 1916年11月25日[17]
桜井養秀:砲兵大尉(1911年11月20日[18] - )
井上幾太郎:工兵大佐(1911年12月27日[15] - 1915年8月10日[19]
曽田孝一郎:工兵中佐(1912年2月16日[20] - 1916年7月25日[7]
中柴末純:工兵少佐(1912年4月20日[21] - 1915年8月10日[19]
植邨東彦:砲兵大尉(1912年4月20日[21] - )
杉山正:工兵少佐(1914年1月14日[22] - 1916年11月25日[17]
松井命:工兵大尉(1914年5月28日[23] - )
谷田繁太郎:工兵大佐(1915年8月10日[19] - ):少将(1917年8月6日[24] - )
鳴瀧紫磨:工兵中佐(1916年7月25日[7] - )
北川正太郎:砲兵中佐(1916年7月25日[7] - )
芝生佐市郎:工兵大佐(1916年9月8日[25] - )
高田精一:工兵中佐(1916年11月25日[17] - )
益田済:工兵少佐(1916年11月25日[17] - )
星野庄三郎:少将(1917年8月23日[26] - )
宮原国雄:工兵大佐(1917年8月23日[26] - )
  • 海軍
山屋他人大佐軍令部参謀(1909年8月28日 - )
相原四郎:大尉(1909年8月28日 - 1910年3月1日[27]
小浜方彦:機関大尉(1909年8月28日 - 1911年3月10日[28]
奈良原三次:造兵中技士(1909年8月28日 - 1910年12月27日[29]
牛奥劼三:造船少監(1909年12月6日[5] - 1915年6月10日[30]
高島万太郎:大佐・軍令部参謀(1909年12月27日[31] - 1911年12月26日[32]
金子養三:大尉(1910年5月31日[33] - 1911年3月10日[28]、少佐:1915年3月10日[34] - )
飯田久恒:中佐(1910年9月14日[35] - 1910年12月17日[36]
山下誠一:機関大尉(1910年12月17日[36] - )
梅北兼彦:大尉(1911年4月7日[37] - 1915年3月10日[34]
河野三吉:大尉(1911年6月8日[38] - )
山路一善:大佐(1911年12月26日[32] - 1914年6月13日[39]
山内四郎:中佐(1912年4月2日[40] - )
下村延太郎:大佐(1914年6月13日[39] - 12月10日[41]
吉田清風:大佐(1915年2月15日[42] - 1917年1月25日[43]
臼井国:少佐(1915年6月10日[30] - 1917年6月15日[44]
福与平三郎:中佐(1917年6月15日[44] - )
井出謙治:少将(1917年8月7日[45] - )
松下東治郎:大佐(1917年8月7日[45] - )
小倉嘉明:中佐(1917年8月7日[45] - )

※1914年1月14日以降の発令

  • 岩本周平:陸軍技師・気球隊付
  • 井上徳治郎:陸軍一等主計
  • 田村鎮:陸軍技師

脚注

  1. ^ 『陸軍航空の軍備と運用(1)』、17 - 18頁。
  2. ^ 同上、72 - 73頁。
  3. ^ 同上、105頁。
  4. ^ 『官報』第1420号、大正6年4月28日。
  5. ^ a b 『官報』第7937号、明治42年12月7日。
  6. ^ 『官報』第1099号、大正5年4月4日。
  7. ^ a b c d e 『官報』第1196号、大正5年7月26日。
  8. ^ 『官報』第8536号、明治44年12月2日。
  9. ^ 『官報』第7987号、明治43年2月9日。
  10. ^ 『官報』第59号、大正元年10月10日。
  11. ^ 『官報』第8025号、明治43年3月28日。
  12. ^ 『官報』第8126号、明治43年7月23日。
  13. ^ 『官報』第775号、大正4年3月5日。
  14. ^ a b c 『官報』第8253号、明治43年12月23日。
  15. ^ a b 『官報』第8558号、明治44年12月28日。
  16. ^ 『官報』第1217号、大正5年8月19日。
  17. ^ a b c d 『官報』第1296号、大正5年11月27日。
  18. ^ 『官報』第8527号、明治44年11月21日。
  19. ^ a b c 『官報』第908号、大正4年8月11日。
  20. ^ 『官報』第8596号、明治45年2月17日。
  21. ^ a b 『官報』第8649号、明治45年4月22日。
  22. ^ 『官報』第437号、大正3年1月15日。
  23. ^ 『官報』第547号、大正3年5月29日。
  24. ^ 『官報』第1505号、大正6年8月7日。
  25. ^ 『官報』第1234号、大正5年9月9日。
  26. ^ a b 『官報』第1520号、大正6年8月24日。
  27. ^ 『官報』第8004号、明治43年3月2日。
  28. ^ a b 『官報』第8313号、明治44年3月11日。
  29. ^ 『官報』第8257号、明治43年12月28日。
  30. ^ a b 『官報』第857号、大正4年6月11日。
  31. ^ 『官報』第7955号、明治42年12月28日。
  32. ^ a b 『官報』第8557号、明治44年12月27日。
  33. ^ 『官報』第8081号、明治43年6月1日。
  34. ^ a b 『官報』第780号、大正4年3月11日。
  35. ^ 『官報』第8172号、明治43年9月15日。
  36. ^ a b 『官報』第8249号、明治43年12月19日。
  37. ^ 『官報』第8335号、明治44年4月8日。
  38. ^ 『官報』第8388号、明治44年6月9日。
  39. ^ a b 『官報』第561号、大正3年6月15日。
  40. ^ 『官報』第8634号、明治45年4月4日。
  41. ^ 『官報』第709号、大正3年12月11日。
  42. ^ 『官報』第760号、大正4年2月16日。
  43. ^ 『官報』第1343号、大正6年1月26日。
  44. ^ a b 『官報』第1462号、大正6年6月16日。
  45. ^ a b c 『官報』第1506号、大正6年8月8日。

関連項目

参考文献

  • 防衛研修所戦史室『陸軍航空の軍備と運用(1)昭和十三年初期まで』52号、朝雲新聞社〈戦史叢書〉、1971年。 NCID BN00711718 
  • 村岡正明『航空事始 : 不忍池滑空記』127号、東京書籍〈東書選書〉、1992年。 NCID BN08299593 
  • 秋本実『研究機開発物語 : 高速力、高高度、航続力に賭けた国産機の全貌』光人社〈光人社NF文庫〉、2003年。 NCID BA6186780X 
  • 秦郁彦 [編]『日本陸海軍総合事典』(2版)東京大学出版会、2005年。ISBN 4130301357NCID BA73066386 
  • 山本晴彦『帝国日本の気象観測ネットワーク』農林統計出版、2014年。 NCID BB14631962 

臨時軍用気球研究会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/21 04:25 UTC 版)

陸軍航空本部」の記事における「臨時軍用気球研究会」の解説

1909年明治42年7月、臨時軍用気球研究会官制勅令207号)が施行され、臨時軍用気球研究会が設立された。同研究会は名称と異なり対象飛行機中心で、陸軍主体政府機であった以後10年間、陸軍航空研究開発は臨時軍用気球研究会が担当し飛行場選定操縦要員欧州派遣始まり外国製飛行機購入決定飛行機および各種器材試作その他の責任担った1910年明治43年12月には研究会委員日野熊蔵徳川好敏大尉日本での初飛行成功している。陸軍第一次世界大戦臨時編成航空隊投入し戦果をあげ、1915年大正4年)に航空大隊設立交通兵団編入した。 1917年大正6年11月陸軍特別大演習参加した14機の飛行機不時着事故多発その他の事故頻発し問題となった世界大戦による輸入困難で外国製模した国産エンジンこの年初め使用し、新器材十分な試験慣熟訓練なしで演習投入されのである調査のため特別委員会設けられたが、砲兵科中心器材製作側と歩兵科および工兵科中心使用側が故障原因について互いに譲らず、適切な結論得られなかった。飛行機研究審査制式決定を臨時軍用気球研究会が行い、器材製造砲兵工廠担当し航空大隊皇居守護本務とする近衛師団所属交通兵団にあり、三者連携は容易ではなかった。また陸軍省内での航空政務専任部署がなく軍務局工兵が行っていた。

※この「臨時軍用気球研究会」の解説は、「陸軍航空本部」の解説の一部です。
「臨時軍用気球研究会」を含む「陸軍航空本部」の記事については、「陸軍航空本部」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「臨時軍用気球研究会」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「臨時軍用気球研究会」の関連用語

臨時軍用気球研究会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



臨時軍用気球研究会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの臨時軍用気球研究会 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの陸軍航空本部 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS