初期の航空技術研究
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「陸軍航空技術研究所」の記事における「初期の航空技術研究」の解説
日本の陸軍航空における研究は、1877年(明治10年)西南戦争の際に気球の試作をしたことにより始まるが、より本格的な技術の研究と開発は明治時代末期より着手された。日露戦争時の敵情偵察に効果を収めた臨時気球隊や、欧米列強国で進歩しつつある飛行機の研究を重視した陸軍が、海軍および東京帝国大学などの研究者を含めた軍官共同の機関、臨時軍用気球研究会を1909年(明治42年)7月に発足させてからである。同研究会は陸軍主導で創設された経緯や委員の構成、さらには航空運用思想や研究方向性の相違から海軍と学界が積極的に参画せず、実質は陸軍独自の飛行機研究機関であった。その名称と研究対象との齟齬は、当時まだ実用価値が明確でなかった飛行機を政府機関の研究会名に用いることが避けられたためだとされる。臨時軍用気球研究会は揺籃期の陸軍航空にとって唯一の研究機関として役割を果たした。 大正期に入り、臨時軍用気球研究会は当初の目的であった航空機の一般的研究をすでに大半終了し、陸軍はその特性に応じた実用的な研究を必要とした。1919年(大正8年)4月、航空事業に関する軍の機構改革のため陸軍航空部が創設されると、同時に埼玉県入間郡所沢町に陸軍航空学校が設立され、同校内に研究部が置かれた。以後は陸軍航空学校研究部が技術研究を継承し、その主流となるのは実用的研究で純学理の研究は行わないことになった。1924年(大正13年)5月、陸軍航空学校は改編されたが新規学校の所沢陸軍飛行学校研究部は航空に関する器材、気象、衛生等の調査研究ならびに審査を引き続き担任した。
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