初期の蒸気機関車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 01:21 UTC 版)
「ジョージ・スチーブンソン」の記事における「初期の蒸気機関車」の解説
1802年、リチャード・トレビシックが世界初の実動する蒸気機関車を発明した。なお、日本においてはしばしばスチーブンソンが蒸気機関車の「発明者」と記述されるが、トレビシックの「ペナダレン号」が世界初の蒸気機関車である。後にトレビシックはタインサイドの炭鉱主に招かれ、蒸気機関を製作している。それを地元の人々が真似て独自の蒸気機関を設計した。「ペナダレン号」からジョージの「ブリュヘル号」までの間にも複数の技術者の手によって蒸気機関車が製作されているが、どの機関車も、ジョージのそれと比較して実用的であるとは言い難い物であった。 1814年、スチーブンソンはキリングワースで石炭輸送のための蒸気機関車を設計。ゲプハルト・レベレヒト・フォン・ブリュッヘルというプロイセンの軍人の名をとって「ブリュヘル(英語版)」号と名付け、ウェストムーアの自宅裏の作業場で製作した。同年7月25日、初走行に成功している。時速6.4kmで坂を上り30トンの石炭を運ぶことができた。世界初の輪縁付きの車輪を採用しており、輪縁付き車輪と線路の接触部分の摩擦によってのみ走行する。産業界は、馬の代わり以上に活用できると称賛した。結局キリングワースでは16台の蒸気機関車を製作したとされているが、全16台の詳細は不明である。存在が特定されたものの多くはキリングワース炭鉱やヘットン炭鉱鉄道(英語版)で使われていた。1817年にはキルマーノック・アンド・トルーン鉄道(英語版)のために六輪の蒸気機関車を製作したが、鋳鉄製の線路が破損することがわかり運行はすぐさま中止された。さらにスコットランドの鉱山鉄道で使われたものもあり、1819年にスウォンジ郊外の鉱山鉄道向けに製作したものがあるが、蒸気機関が不調だったこととやはり線路に損傷を与えたため、すぐに使用中止となった。 蒸気機関車は非常に重く、木製の線路上を走らせるのは困難で、鉄製の線路は登場したばかりで、鋳鉄製の線路は強度に問題を抱えていた。ウィリアム・ロシュ(英語版)と共に鋳鉄製線路の強度を高める設計を研究し、ロシュらが経営する製鉄所 Losh, Wilson and Bell で試作した。また、蒸気機関車側の工夫も行った。まず、蒸気圧をクッション代わりにする 'steam spring' を試したが、間もなく車輪を増やして荷重を分散させればよいと気付いた。しかしストックトン・アンド・ダーリントン鉄道では、特許を取得した設計を採用せず、錬鉄製線路のみを使っている。 1820年、スチーブンソンはヘットン炭鉱からサンダーランドまで13kmの鉄道建設を任された。下りの傾斜では重力を使い、上りの傾斜では蒸気機関車の力を使う鉄道となり、世界初の畜力を全く使わない鉄道となった。
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