初期の艦歴
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 16:17 UTC 版)
「ラミリーズ (戦艦・2代)」の記事における「初期の艦歴」の解説
ラミリーズは1913年(大正2年)11月12日に起工して、第一次世界大戦中の1917年(大正6年)5月に竣工した。進水時に舵を損傷したために就役は予定より1年遅れた。この修理期間中に高まる魚雷の脅威に対抗するべく、イギリス戦艦で最初に対水雷防御用バルジを装備した。こうした装備により、ラミリーズは理想的な射撃プラットホームとなった。 就役後は、グランド・フリート(英語版) (Grand Fleet) の第一戦艦戦隊 (1st Battle Squadron) に配属された。同時に船体にはダズル迷彩が施されて大戦終盤までこの塗装がなされていた。本級では本艦と姉妹艦リヴェンジ (HMS Revenge, 06)2隻のみがダズル迷彩塗装であったという。1920年に入ると、トルコとの対立に応じて地中海に派遣され、海岸を砲撃した。 第一次世界大戦終結後、大艦隊は解散して大西洋艦隊 (Atlantic Fleet) に再編された。1924年(大正13年)に大西洋艦隊の第二戦艦戦隊 (2nd Battle Squadron) に配属され、その後1926年には地中海艦隊 (Mediterranean Fleet) に配属された。1931年(昭和6年)9月のインヴァーゴードン反乱を経て、大西洋艦隊は本国艦隊 (Home Fleet) に改変された。1932年(昭和7年)6月から1934年(昭和9年)8月まで大規模な修理を受けた。1936年(昭和11年)から1939年(昭和14年)にかけて地中海艦隊付の練習艦を務めている。1939年に姉妹艦ロイヤル・サブリン (HMS Royal Sovereign, 05) とともに箱型艦橋への改装が構想されたが実現しなかった。 本艦を含むリヴェンジ級戦艦は改修工事が進んでおらず、第二次世界大戦勃発時には最も陳腐化していた。本級はその時点の他国主力艦と比較して速力が遅く、水平防御と対空兵装が貧弱であったため、船団護衛が主任務となった。
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初期の艦歴
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「シール (グランパス級潜水艦)」の記事における「初期の艦歴」の解説
就役にあたりシールはダートマス(Dartmouth)のトール湾(Torbay)において受領試験を実施した。最初の潜航試験を無事に終了した1939年6月1日にリヴァプールで試験中のHMS シーティス沈没の報が知らされ、多くの戦友を失った乗組員は喪失感を味わった。シールはゴスポート(Gosport)に移動して魚雷発射試験を完了した。 8月4日にシールは、HMS グランパスとHMS ロークァル(HMS Rorqual)に合流するためにジブラルタル、マルタ、スエズ運河経由で中国への航海へ出た。しかし、第二次世界大戦の勃発によりアデンで足止めされ、まだ参戦していない時期にドイツの潜水艦を曳航している恐れのあるイタリア側を監視するための2回の臨時哨戒に駆り出された。シールは損傷した駆逐艦を護衛して母港へ帰投し、ドッガーバンク付近の哨戒を実施するために北海へ取って返し、そこでドイツ軍機から初めての攻撃を受けた。その後ハリファックスへの14日間の航海を行う船団の護衛に加えられた。シールはクリスマス休暇に間に合うように帰国し、ブライス(Blyth)に臨時に設立されたエルフィン(Elfin)基地に配置された。その後ロサイス(Rosyth)を拠点としてノルウェーの戦いの一翼を担う北海での哨戒任務に充てられた。1940年2月のある夜にシールは余分の人員 - 武装した一団 - を乗船させ、アルトマルク号を奪取する作戦に参加したが、アルトマルク号事件となる出来事では何の役割も果たさなかった。ホートン提督(Admiral Horton)は、ロサイスへの帰路の途上のシールを出迎えると「貴艦は戦時の艦船としては余りにも無垢である。何かが間違っているに違いない。」("You're too damn clean for a war-time boat. Something must be wrong")と述べた。しかし、ホートンは航海日誌に記載する時には「貴艦は途轍もなく優秀な乗組員を擁しているに違いない。」("you must have a damn good crew")と意見を変えた。 1940年3月の終わりにドイツ軍はノルウェーに侵攻し、シールはノルウェー沿岸の作戦から外れた。ロンズデール艦長はスタバンゲルフィヨルド(Stavangerfjord)に侵入し、新しいアスディック装置を使用してスタヴァンゲルの港へ到達するという冒険的な作戦の決行を決断した。港には4隻の商船が停泊していたが、これらは全て中立国の国旗を掲げていた。ロンズデールは水上機基地への攻撃と上陸部隊による鉄道へのサボタージュ工作実施の許可を申請したが、これらは固く禁じられる一方で、遭遇したドイツ海軍の艦艇はシールの魚雷で攻撃するには喫水が浅すぎた。同じ場所で同じ時期に戦没したHMS シストル(HMS Thistle)とは違い、魚雷による攻撃から危うく逃れたシールは士気の低下した乗組員と共にロサイスへ帰投した。
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