大戦終盤(1944年頃)
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「機甲師団」の記事における「大戦終盤(1944年頃)」の解説
1944年型と呼ばれる編成が規定されたが1943年型と大きな相違は無い。1945年型と呼ばれる編成では従来2個戦車大隊編成だった戦車連隊が1個戦車大隊及び1個装甲擲弾兵大隊に変更された。また各支援部隊も自動車化される比率が低下し、大幅に戦力は低下した。敗戦間際にはありあわせの部隊を集成して師団に仕立てるケースも多く、規定は有名無実に近いものがあった。 ソ連との戦車大型化合戦が続き、新重戦車ティーガーIIが投入されると共に、V号戦車・VI号戦車の駆逐戦車型も登場した。IV号戦車に改良の余地は少なく、駆逐戦車や突撃砲として完成するものも多かった。制空権を完全に失ったため対空戦車が登場した。 対戦車砲の不足が深刻化し、偵察部隊に対戦車砲を載せた重装甲車が配備され、装甲兵員輸送車にも対戦車砲が載せられて対戦車戦に駆り出された。 1944年1月には装甲教導師団が編成された。保有する4個装甲擲弾兵大隊全てが装甲兵員輸送車を装備した唯一の師団であった。 1944年5月に第116装甲師団が第16装甲擲弾兵師団から改編された。 1944年夏には第25装甲師団再編のために戦力を抽出されたノルヴェーゲン装甲師団が解隊された。 1944年11月27日には「フェルトヘルンハレ」装甲擲弾兵師団がフェルトヘルンハレ装甲師団に改編された。 1945年1月1日にホルシュタイン装甲師団が編成されたが、3月30日には第18装甲擲弾兵師団の再編に使用されて消滅した。 1945年2月、デーベリッツ装甲師団が編成されたが22日にはシュレージェン装甲師団に改名された。3月30日には第18装甲擲弾兵師団の再編に使用されて消滅した。 同じく1945年2月に編成されたユーテルボーク装甲師団は26日には第16装甲師団に吸収されて消滅した。 1945年2~3月に第232及び第233装甲師団が同番号の予備装甲師団から改編(実質は単なる改名)された。 1945年3月5日に編成されたミュンヘベルク装甲師団はベルリンにて最後まで戦い、壊滅した。 ブダペストで壊滅した第13装甲師団は1945年3月10日にフェルトヘルンハレ第2装甲師団として再編された。 1945年4月6日にクラウゼヴィッツ装甲師団が編成された。ナチスドイツが編成した最後の装甲師団である。
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