第一次改装
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第一次世界大戦でのユトランド沖海戦では遠距離砲戦でほぼ垂直に落下する砲弾によりイギリス艦隊に多大な損害が生じた。この時の戦訓により各国海軍は戦艦、巡洋戦艦への水平防御の強化に迫られた。日本海軍も例外でなく金剛型に対しても水平防御強化のための第一次改装が行われた。 実施時期 この第一次改装は榛名が1924年(大正13年)3月から1928年(昭和3年)7月30日(もしくは7月31日)まで横須賀海軍工廠で、霧島は1927年(昭和2年)3月から1930年(昭和5年)4月16日(もしくは3月31日)まで呉海軍工廠で、金剛は1928年(昭和3年)12月1日から1931年(昭和6年)9月15日(もしくは3月31日)まで横須賀海軍工廠で行われた。比叡については後述する。 水平防御 弾薬庫上に4インチ(101.6mm)のNVNC甲板が、また機関上には3インチ(76.2mm)のHT鋼板が追加された。水中防御としては舷側に1インチ(25.4mm)のHT鋼板を3,4枚重ね、その外側にバルジを設けた。これで対36cm砲弾の防御とされたが不十分だったとされている。 主缶 この改装では同時に主缶の換装も行われている。竣工時は各艦石炭重油混焼缶を36基装備していたが技術進歩により1缶当たりの出力があがり、榛名の場合、ロ号艦本式重油専焼缶6基、同混焼缶10基に交換された。またその後に改装された金剛、霧島の場合は専焼缶4基、混焼缶6基と更に少なくなっている。これにより今までは燃料は石炭が主、重油従であったが、重油が主、石炭従の形となった。更に重油専焼となるのは第二次改装を待つ必要がある。また外観上の変化としては缶の換装により煙突が2本となった。これは旧第1煙突が撤去された形となった。 速力 主機は交換されなかった。改装による排水量の増加、バルジによる艦幅の増加などから速力は低下した。ちなみに改装後の公試成績は榛名25.9kt、霧島26.3kt、金剛26.0ktであった。比叡以外の金剛型各艦は1931年に巡洋戦艦から戦艦に類別を変更している。 航空兵装 水上機の搭載であるが金剛はすでに改装前から搭載していた。榛名、霧島はこの改装から搭載された。 高角砲 8cm単装高角砲4門と7.7mm機銃3挺が装備された。 水雷兵装 この頃には戦闘を行う距離が延伸したことにより有効性が減ったと考えられ、水中魚雷発射装置4基を撤去した
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第一次改装
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 04:19 UTC 版)
第二次世界大戦終盤にドイツ軍の攻撃で損傷を受けた後、休戦期間中に舷側に車両積載用ハッチを設けるなど輸送艦能力を追加され、中期までは戦車や兵員といった陸上兵力の輸送任務も行った。 「新・旭日の艦隊」第10巻巻末の記述によれば改修後は基準排水量7万8千トンで、満排水量9万トン余りとされている。
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