第一次攻勢(メギドの戦い)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/15 14:44 UTC 版)
「トトメス3世」の記事における「第一次攻勢(メギドの戦い)」の解説
ハトシェプスト女王がトトメス3世の治世21年6か月10日に没した時、ヒエロポリスの南部から出土した石碑によると、カデシュの王はパレスティナ北部のメギドに彼の軍隊を進めたという。これに対してトトメス3世は即位わずか半月にも拘わらず軍隊を召集してエジプトを出発し、遠征から8か月目の25日目にチャル(希:シル)の国境の要塞を通過した。ハトシェプストの統治時代に軍の指揮官であった経験が幸いしたと言えよう。彼は海岸平野を通ってジャムニアまで軍隊を行進させ、その後内陸に向かってメギド近くの小さな都市イェヘムに向かい、9か月目の半ばに到着した。メギドの戦いで両軍は激突したが、これはトトメス3世史上最大の戦いであったと言われる。
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