第一次攻略戦の反省と対策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 01:39 UTC 版)
「ウェーク島の戦い」の記事における「第一次攻略戦の反省と対策」の解説
第一次攻略戦は日本側の惨敗であった。第四艦隊麾下の第七潜水戦隊司令官大西新蔵少将は「後から見ると随分杜撰な計画だった。航空戦(基地航空隊)の効果に期待を持ちすぎた」と回想している。再度の出撃までの間、研究会が開かれ第一次攻略戦の反省とその対策が論じられた。「如月」沈没の原因が魚雷等に対する被弾と考えられたので、魚雷と爆雷に断片除けを施した。 また、攻略部隊がたった4機の F4F 戦闘機に翻弄されたことから、より強力な航空兵力が望まれた。他にも、上陸準備に手間取ったため、大発をすばやく降ろせる措置を講じたほか、通信技術の向上も図られた。これらの研究会の最中、梶岡少将は陸戦隊の揚陸について、「最悪の場合は哨戒艇を擱坐させてでも揚陸させる」という腹案を持つようになった。 第二次攻略作戦を実施するにあたり、ウェーク島の米軍航空戦力制圧は至上命題であった。だが南洋部隊の基地航空隊は距離の関係からウェーク島に戦闘機を派遣できず、空母もないため、南洋部隊単独での戦闘機撃滅は不可能だった。第四艦隊参謀長矢野志加三大佐は、ウェーク島の残存機撃滅を連合艦隊司令部に依頼した。連合艦隊はこれを受け、真珠湾攻撃からの帰途にある第一航空艦隊(司令長官南雲忠一中将、旗艦「赤城」)に対し、ウェーク島攻撃に向かうよう令した。これに対し南雲は一旦トラックに入港して整備を行った上、関係将官と打ち合わせを行ってからウェーク島攻撃に向かう旨通告した。他、グアム攻略戦を終えた第六戦隊(司令官五藤存知少将、重巡〈青葉、加古、衣笠、古鷹〉)や、駆逐艦2隻(朝凪、夕凪)、特設艦船、特別陸戦隊1個中隊が追加されることとなった。 12月15日、第4艦隊から参謀が派遣され、作戦会議が開かれた。この席上、梶岡少将は非常の際の哨戒艇の用兵についても説明。結果、快諾された。12月17日、第4艦隊より再度のウェーク島攻略命令が出された。18日、19日、20日と詰めの会議が開かれ、偵察も改めて実施された。これを受け、機動部隊に「20日頃にウェーク島を攻撃してもらいたい」との要望が出されたが、そもそも南雲の構想とは違っていた上に燃料の関係もあり、適宜兵力を南洋部隊の指揮下に入れてウェーク島攻撃に協力させ、残りは日本に帰ることとなった。この適宜兵力が、阿部弘毅少将(第八戦隊司令官)指揮下の巡洋艦2隻(利根〈阿部少将旗艦〉、筑摩)、空母2隻(蒼龍〈山口少将旗艦〉、飛龍)、駆逐艦2隻(谷風、浦風)であり、増援兵力は12月16日に機動部隊本隊から分離した。この頃、呂66号潜水艦と呂62号潜水艦が衝突して呂66号潜水艦が沈没、宇垣連合艦隊参謀長は『同島は少し魔物なり』と記している。
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