第一次政権の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 04:21 UTC 版)
同治2年12月8日(1864年1月16日)、哲宗が嗣子のないままに死去すると、興宣君昰応の第2子が王位にむかえられた。高宗である。新国王が若年であるため、大王大妃趙氏(神貞王后)が同治5年(1866年)2月13日まで高宗の養母の資格で垂簾聴政をおこなったが、政治の実権をにぎったのは高宗の生父として「大院君」の称号を得た興宣君李昰応であった。
※この「第一次政権の成立」の解説は、「大院君政権」の解説の一部です。
「第一次政権の成立」を含む「大院君政権」の記事については、「大院君政権」の概要を参照ください。
- 第一次政権の成立のページへのリンク