第一次政権
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 08:03 UTC 版)
「コンスタンディノス・カラマンリス」の記事における「第一次政権」の解説
第二次世界大戦後、カラマンリスは政界で頭角を現し、アレクサンドル・パパゴス首相の時に公共事業省大臣となった。1955年にパパゴスが死去した。後任にはステファノス・ステファノプロスやパナギオディス・カネロプロスなどの重鎮が指名されると見られていたが、国王パウロス1世は周囲の予想に反してカラマンリスを首相に指名した。首相就任から3回の総選挙を戦い、1961年の選挙まで議会多数派を維持した。1959年にはギリシャ経済活性化の為に5カ年計画を発表し、重工業への集中化と観光の産業化を指令した。この間に彼はパパゴスの設立したシナゲルモスを発展的に解党し、民族急進同盟を設立した。一方で、カラマンリスが政権の中心にあった時代は、映画「Z」の題材となったグリゴリス・ランブラキス議員暗殺をはじめ、左翼勢力や労働運動に対する弾圧が酷かった時期でもあり、強権的な手法で政権を率いた。
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