流通政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/26 16:43 UTC 版)
上田作之丞の主張は、藩内の主要産品を藩(武士)の管理下で流通・販売する藩営論であり、国内自給・国産奨励をはかり、他方で移出・移入をきびしく制限する策で「直捌き」と称した。黒羽織党の政策も、米をはじめとする国産物の販売・海運も藩営にすることであった。第一次政権では完全な掌握には至らなかったものの、積極的な流通把握を試みている。 黒羽織党は藩が把握する在郷商人を産物方役人に任命して、植付や集荷だけでなく、値段付・販売までを担当させている。また綿、枇(粉米)、質物、薬種、合薬の5品目に株仲間を復活させて統制した。さらに産物の国内自給を目指し、嘉永6年(1853年)8月には衣食住とも国産(藩内生産)品を用いるよう命じたところ、各地域から移人緩和願が出され、結局綿・砂糖など60品目ほどの他国産物の入津を認めざるをえなかった。 こうした黒羽織党の国産品完全管理の方向性は未完成に終わり、文久年間の第二次政権の際に再開された産物方の設立によって推進すると思われたが、わずか2年で挫折することになる(後述)。
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