第一次攻防戦とは? わかりやすく解説

第一次攻防戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 22:34 UTC 版)

晋州城攻防戦」の記事における「第一次攻防戦」の解説

10月4日咸安経由して到着した日本軍晋州包囲始まり6日より攻撃始まった晋州城では金時敏中心に昆陽県監・光若らが指揮する約3800人の兵士加え多く避難民城内防戦努めた。また城外では郭再祐配下などの慶州道義兵約1200日本軍背後攻撃し7日の夜からは崔慶会・任啓英など全羅道敗兵再編成した軍約2500到着して城外遊撃戦行った日本軍一時攻城中断して遊撃軍を牽制し10日朝より攻撃再開した晋州城は容易に攻略できない判断し長期戦を厭って退却した。 旧参謀本部編纂日本戦史 朝鮮役』では、この援兵行動について、直接日本軍戦闘交えたものではなく遠巻き声援行って日本軍牽制しただけとしている。 晋州防衛中心であった金時敏日本軍鉄砲によって重傷負った李朝軍にも撤退する日本軍追撃する力はなかった。こうして第一次晋州城攻防戦李朝軍の防衛成功幕を閉じた。なお、金時敏攻防戦の後に傷の悪化によって死亡したが、日本側では城を守りきった金時敏官職の牧使の発音から「もくそ」(朝鮮語発音は「モックサ」)、晋州城を「もくそ城」と呼び高く評価した(「もくそ」の当て字は「木曽」)。のちに京都で「もくそ官」として晒されたのはこの金時敏ではなく第二次攻防戦の際に死亡した後任牧使の徐礼元の首である。

※この「第一次攻防戦」の解説は、「晋州城攻防戦」の解説の一部です。
「第一次攻防戦」を含む「晋州城攻防戦」の記事については、「晋州城攻防戦」の概要を参照ください。

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