第一次改装までとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 第一次改装までの意味・解説 

第一次改装まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 02:24 UTC 版)

金剛型戦艦」の記事における「第一次改装まで」の解説

煙突 金剛竣工時、煙突の高さが3本とも同じであり1番煙突排煙艦橋逆流する問題があった。そのため他の同型艦同様に1番煙突高めた。しかしこれでも十分でなく金剛比叡には1924年大正13年)ころに三日月形キャップ設置されている。 方位盤 榛名1916年大正5年2月方位盤照準装置試作機装備し実用実験行った。これは主砲統一して運用するためのものである。場所は前檣トップ射撃指揮所を拡張して装備された。その年の8月射撃試験行い満足の行く結果得られたので一三方位盤として正式採用され金剛型を含む戦艦巡洋戦艦巡洋艦順次装備された。 探照燈 1917年大正6年)から1919年(同8年)にかけて各艦とも前檣中段探照燈集中配備するよう改められた。これは夜間の水雷艇攻撃対処するためと言われている。1924年大正13年)ころには前檣と1番煙突の間にプラットフォーム新設しそこに移設されている(金剛のみは1番煙突2番煙突の間に移設)。この時前檣には副砲指揮所、照射指揮所などが設けられ日本戦艦独特の檣楼型の前檣形作られている。 主砲 1920年大正9年)より各艦主砲仰角引き上げ工事実施し従来20度(金剛25度)から33度に引き上げられた。これにより射程距離28,600mまで延長された。同時に弾薬庫改正され、1門当たりの弾数80発から100発に増加した。また砲塔天蓋装甲も76mmから154mmに強化された。 係留気球 1922年大正11年)に比叡艦尾気球係留装置装備した。これは弾着観測用の装備であった水上機実用化になり1926年大正15年)ころに撤去されている。水上機順次搭載されていき、比叡場合1927年昭和2年)より3番砲と4番砲の間に搭載された。 魚雷防御網 1926年大正15年)ころに各艦とも魚雷防御網撤去している。

※この「第一次改装まで」の解説は、「金剛型戦艦」の解説の一部です。
「第一次改装まで」を含む「金剛型戦艦」の記事については、「金剛型戦艦」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「第一次改装まで」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第一次改装まで」の関連用語

第一次改装までのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第一次改装までのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの金剛型戦艦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS