八路軍の第一次攻勢と日本軍の第一期晋中作戦
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「百団大戦」の記事における「八路軍の第一次攻勢と日本軍の第一期晋中作戦」の解説
8月20日夜、八路軍は山西省を中心に一斉に攻撃を開始した。京漢線方面では、晋察冀辺区軍の一部や第129師の一部など8000人以上が襲来して、鉄道に損害が出た。日本側は第110師団や独立混成第1旅団によって8月25日までに撃退した。同蒲線沿線でも八路軍と、独立混成第3・第9旅団や第41師団が交戦した。 石太線や太原に対しては、第129師の6000人やその他の部隊が向かった。これらの地域で1拠点に1個小隊以下の高度分散配置で手薄な警備をしていた日本の独立混成第4・第8・第9旅団と交戦状態となった。日本側は、交通網の遮断のため素早く増援部隊を送ることができず、居留民まで武装させるなどしたが、苦戦した。例えば娘子関(zh)地区では20kmの担当範囲に1個中隊の日本軍守備隊が6分割配置された状態で戦闘となり、偶然通りがかった列車に乗車中の兵士の支援を受けてかろうじて持ちこたえた。独混第8旅団の担当地区にある井徑炭坑は、3個所の採掘地点にわずか各1個分隊程度の態勢だったところ、それぞれ1000人以上の八路軍の攻撃を受けて、うち1か所が放火により完全に破壊された。 日本の第1軍は、独混第4・第9旅団を反撃に出撃させ、8月30日から9月18日にかけて、石太線方面に襲来した第129師を攻撃した(第一期晋中作戦)。八路軍は反撃を避けるため、分散退避した。
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