採掘地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/17 15:22 UTC 版)
採掘地は古くは庄金剛寺村(のちの雄神村)領に属していたが、採掘作業には庄川を挟んだ対岸の金屋の人々が携わっていたので、次第に金屋の人々の持ち山と変わり、石材も金屋石と呼ばれるようになった。切り出した石材は、庄川左岸川原の中州で第一次加工を行い、その後石屋に運ばれた。この中州は古くから石屋島と呼ばれ、昭和30年頃には対岸の山腹と石屋島を索道(ロープウェイ)で結び、運搬の合理化を図った。現在も水記念公園の付近にはその痕跡が残る。採掘跡は庄川水記念公園向かいの山腹に現在も残っており、庄川ウッドプラザから目視できる。採掘跡は現在5か所確認されており、そのうち今も崩落せずに残っているのは3か所である。採掘跡は砺波市ふるさと文化財に登録されている。
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