事業体制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 22:15 UTC 版)
北樺太石油は東京に本社を置き、オハに北樺太鉱業所を、その他の試掘・採掘地に支所を置いた。 オハでは鉱場から樺太東海岸まで鉄道を敷設。東海岸には港がないため、海軍の支援を受けて、船舶に直接送油する1キロメートル沖合までの海底パイプラインおよび係留施設を整備した。そして、1927年(昭和2年)以降、オハ油田と海岸一帯に石油タンクを設置し、1930年(昭和5年)には貯油能力が20万トンとなった。また、北樺太は結氷と波浪のため6月下旬から10月末までしか荷役を行うことができない中、物資を社船「オハ丸(1,450トン)」や5,000-6,000トンの用船数隻により日本国内から輸送。オハと各支所間は75トンの発動船「チャイオ丸」で連絡した。 原油は海軍の特務艦により日本に運ばれ、1931年度で9割以上が海軍へ、その他は日本石油、三井物産などに販売された。
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