採掘再開
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/21 13:42 UTC 版)
時は流れて、1877年(明治10年)頃より再び採掘者が現れた。1887年(明治20年)に採掘をはじめた杉山次郎は、1894年(明治27年)倉谷鉱山株式会社を設立、洋式の採掘法により金・銀・銅・鉛を産出した。1909年(明治42年)までは坑夫数300名以上、鉱産金額15万円以上を数えていた(各年次『石川県統計書』)。山間奥深い場所にもかかわらず、倉谷集落には郵便局も設置された。
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