戦後のラサ島とリン鉱石資源
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:15 UTC 版)
「ラサ島鉱業所」の記事における「戦後のラサ島とリン鉱石資源」の解説
ラサ島鉱業所従業員が去った後、空襲や艦砲射撃にしばしば見舞われたものの、坑道を利用した頑強な防御陣地の効果もあってラサ島守備隊の損害は比較的少なく、8月15日の終戦を迎えた。10月12日には米軍の接収を受けた後、14日にラサ島守備隊は島を離れ、ラサ島は無人島になった。 終戦後、沖縄はアメリカの統治下に入った。しかしラサ工業は1951年、ラサ島の鉱業権確認申請を提出した。申請は認められて1953年8月には通商産業省鉱山局長から証明書が発行された。一方、1956年4月16日、ラサ島は米軍の射爆場に設定され、沖大東島射爆撃場となった。1972年5月15日の沖縄日本復帰後も引き続いて米軍の射爆劇場として使用されていて、取り決めにより月15日、年間180日以内の範囲で米海軍の艦対地射爆撃訓練、空対地爆撃訓練が行われている。 日本復帰後、ラサ島はいったん国有地とされたものの、1937年にラサ工業株式会社に払い下げられた事実が確認されたため、ラサ工業の所有権が認められて1973年10月12日には民有地に訂正された。所有権回復後、ラサ工業はリン鉱石採掘再開を図って基地の返還を求めた。しかし政府としては米軍の基地使用を認めざるを得ず、結局、1974年3月30日に政府とラサ工業はラサ島の賃貸借契約を結んだ。ラサ島の賃貸料は北大東村誌によれば1984年度は3億3000万円であり、その後、金額は公表されていないが北大東村当局者によれば1991年は推定5億円という。 1979年1月、ラサ工業株式会社はラサ島をリン鉱山として再開発するとともに、採掘終了後は石油備蓄基地とする計画を策定する。同年7月、広島大学の沖村雄二教授を団長として、ラサ工業と防衛施設庁合同でラサ島のリン鉱石調査が実施された。調査の結果、リン鉱石の埋蔵量は約350万トンと推定された。そのような中でラサ工業とラサ島が属する北大東村は、射爆場としての契約解除とラサ工業側への返還を求めたが、国は基地契約解除と返還に同意せず実現しなかった。
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