八路軍の第二次攻勢と日本軍の第二期晋中作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 14:40 UTC 版)
「百団大戦」の記事における「八路軍の第二次攻勢と日本軍の第二期晋中作戦」の解説
9月22日、八路軍は、部隊を集結させて同蒲線に対する攻撃を再開した。同蒲線沿線の寧武県を警備中の独混第3旅団隷下の拠点は、22日早朝に一斉攻撃を受けてかなりの損害を生じた。独混第3旅団は翌23日から反撃を開始し、10月2日までに八路軍を撃退した。 石太線方面に対しても、9月24日朝、第129師を中心とした八路軍の精鋭部隊が再攻撃を行った。楡社県と遼県の間などに分散配置されていた独混第4旅団の脆弱な警備拠点の多くが、全滅に近い損害を被った。9月の同旅団の損害は、百団大戦期間中で最多の戦死162人に達している。独混第4旅団は救援部隊を派遣し、石太線の各拠点を復旧させた。 反撃を受けた八路軍は、遼県付近の山地や東潞線(同蒲線から太谷にて潞安へ分岐)西方山地の根拠地に帰還し、東潞線への襲撃を続けた。これに対し、日本の第1軍は、第二期晋中作戦を実施して共産党勢力の撃滅を図った。第1軍は、10月11日から12月3日にかけて、第36師団・第37師団・第41師団・独混第4旅団を出撃させ、八路軍部隊の追跡と根拠地に対する燼滅作戦を行った。
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