高層気象観測
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 08:50 UTC 版)
久原が主張する高い煙突が煙害対策に役立ちそうだとの感触を得るようになった日立鉱山の技術陣であったが、高い煙突を建てるといっても、はっきりした根拠も無いままに建設に踏み切るのは問題であるとの声が挙がった。またいったいどのくらいの高さの煙突が良いのか、そもそも技術的にどのくらいの高さの煙突まで建設が可能なのかについても検討されるようになった。そこで神峰山の頂上に観測所を設けることになり、神戸海洋気象台に勤めていた藤原咲平の指導を受け、高層気流の観測を開始した。続いて高層気流観測のために気球を揚げることになった。そこで当時気球の研究を進めていた陸軍の臨時軍用気球研究会に職員を派遣し、委員を務めていた田中舘愛橘らから気球の製作、係留方法、そして揚げ方の指導を受けた。 臨時軍用気球研究会で気球について学んだ後、気球製作所から30m³と50m³の係留気球を購入した。購入した気球は鉄くずに希硫酸をかけて発生させた水素を詰め、風力、風速、気圧などを測定する機器を搭載して、神峰山頂上から揚げて高層気象観測を行った。また臨時軍用気球研究会から気球製作所を紹介され、気球製作所の社長が日立鉱山をしばしば訪れるなどして指導を行い、その指導のもとで日立鉱山側は気球を製作し、高層気象観測を進めたとも伝えられている。 この大煙突建設のための気球による高層気象観測は約1年間行われたと伝えられていて、当初、神峰山山頂で行われていた観測は、まもなく宮田小学校がある付近にあった福内農場に移転したと考えられている。この福内農場で気球を用いた高層気象観測時に、上空で気球が強風に煽られて支え綱をつけたまま飛ばされてしまったため、係員が必死になって追いかけたことがあったとの話も伝えられている。
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