所沢飛行場時代とは? わかりやすく解説

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所沢飛行場時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 04:52 UTC 版)

ファルマン III」の記事における「所沢飛行場時代」の解説

1911年明治44年4月1日日本最初飛行場である臨時軍用気球研究会所沢試験場所沢当時埼玉県入間郡所沢町)に完成した同所での初飛行天候の関係で同5日行われこの日ファルマン機は800mの距離を高度約10mで1分20秒間飛行した記録されている。 同年6月3日徳川大尉操縦で後席に山瀬中尉同乗し、所沢-川越間の30.03kmを高度150m程で3245秒飛行した。これが日本国内初の都市間野飛行とされている。 また、開設当初所沢飛行場には当機を含め前述の両大尉買い付けた全4機の輸入機しか無かったため、同年10月には当機を元に国内会式一号飛行機製作された。この機体軍用機としては、初の国産飛行機とされている。 今日所沢陸軍飛行場跡(現:所沢航空記念公園その周辺)には「航空発祥の地」の石碑やその他さまざまな当機の関連物後述)があり、関連資料公園内所沢航空発祥記念館収蔵されている。 写真資料 - なおこの当時ファルマン機の姿を撮影した写真資料は、現存する物の内ほぼすべてが喜多川秀雄喜多川写真館初代)により撮影されガラス乾板写真であり、敗戦直後軍事機密漏洩恐れ焼却処分を迫る憲兵命令従わず同氏密かに防空壕隠し通したため、今日まで伝わり貴重な資料となっている。約200点のガラス乾板のうち、ファルマン号の姿が写ったものは9-10存在する。この原版保存には専門的な設備必要なことから、2008年の同写真館閉館後親族により東京文化財研究所寄贈され保管されている。

※この「所沢飛行場時代」の解説は、「ファルマン III」の解説の一部です。
「所沢飛行場時代」を含む「ファルマン III」の記事については、「ファルマン III」の概要を参照ください。

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