所沢飛行場時代
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「ファルマン III」の記事における「所沢飛行場時代」の解説
1911年(明治44年)4月1日、日本で最初の飛行場である臨時軍用気球研究会所沢試験場が所沢(当時埼玉県入間郡所沢町)に完成した。同所での初飛行は天候の関係で同5日に行われこの日ファルマン機は800mの距離を高度約10mで1分20秒間飛行したと記録されている。 同年6月3日、徳川大尉の操縦で後席に山瀬中尉が同乗し、所沢-川越間の30.03kmを高度150m程で32分45秒で飛行した。これが日本国内初の都市間野外飛行とされている。 また、開設当初の所沢飛行場には当機を含め前述の両大尉が買い付けた全4機の輸入機しか無かったため、同年10月には当機を元に国内で会式一号飛行機が製作された。この機体は軍用機としては、初の国産飛行機とされている。 今日の所沢陸軍飛行場跡(現:所沢航空記念公園とその周辺)には「航空発祥の地」の石碑やその他さまざまな当機の関連物(後述)があり、関連資料は公園内の所沢航空発祥記念館に収蔵されている。 写真資料 - なおこの当時のファルマン機の姿を撮影した写真資料は、現存する物の内ほぼすべてが喜多川秀雄(喜多川写真館初代)により撮影されたガラス乾板写真であり、敗戦直後、軍事機密の漏洩を恐れ焼却処分を迫る憲兵の命令に従わず、同氏が密かに防空壕に隠し通したため、今日まで伝わり貴重な資料となっている。約200点のガラス乾板のうち、ファルマン号の姿が写ったものは9-10点存在する。この原版の保存には専門的な設備が必要なことから、2008年の同写真館の閉館後、親族により東京文化財研究所に寄贈され保管されている。
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