航空省
航空省
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 10:14 UTC 版)
1945年5月2日未明、国家保安本部の建物に篭るアンリ・フネSS義勇大尉のフランスSS突撃大隊は自分たちが孤立していることに気がついた。最初に戻ってきた斥候の報告によると、左側面にも右側面にも誰もいないという。しばらくして別の斥候が戻り、前線はライプツィヒ通り (Leipzigerstraße) とヴィルヘルム通りの角にある航空省 (Luftfahrministrerium) に迫っていると知らせた。この知らせを受けたフネは、「総統官邸の最後の砦」である航空省まで移動すると決断した。 持てるだけの武器と弾薬を持ち、武装親衛隊フランス人義勇兵たちは航空省まで後退した。彼らは航空省の建物を守るドイツ空軍部隊とあらかじめ連絡をつけていたので、誤射の心配はなかった。 ところが、フランスSS突撃大隊が航空省の陣地を引き継いですぐに、前線から白旗を掲げた自動車が現れた。その車にはドイツ国防軍とソビエト赤軍の将校が乗っており、彼らは航空省内部において降伏について話しあった。それから非武装の赤軍兵もやってきて、タバコをねだった。何名かのドイツ空軍兵士は彼らと仲良くし始めた。さらに、他の赤軍兵もドイツ軍戦線の後方から続々と姿を現した。 航空省内の部隊を指揮していたドイツ空軍少佐は、自分は投降するつもりであるとフネに打ち明けた。少佐は「もう終わりだ」と言い、「降伏文書は調印された」と付け加えた。しかし、フネ自身は少佐の言葉通り何もかも終わってしまったと受け入れることはできなかった。 考えを整理したフネは総統官邸で何が起こっているのかをこれから確認しに行き、「もし最後の一区画が残っていたら、そこに陣取ろう」と決意した。再びフランス人義勇兵たちは武器と弾薬箱を持ち、それぞれが肩にパンツァーファウストを担いだ。彼らは赤軍からの(穏やかな)武装解除警告をことごとく無視し、航空省を去った。 フランスSS突撃大隊の生存者が航空省の建物から出た時、驚くほどの静けさがベルリン市街を覆っていた。市内の道路は大勢の市民と非武装のドイツ軍兵士で埋め尽くされており、フネたちは略奪にふける赤軍兵との接触を避けるため、廃墟内を伝って移動した。 やがて通気口を経て、彼らはベルリン地下鉄駅構内から地下鉄のトンネル内に入った(ここは生き延びるに最適の場所であると同時に、発見されることなく総統官邸まで向かうことが可能な場所であった)。彼らは総統官邸の向かい側にある地下鉄駅目指して移動を続けた。 駅に辿り着いた後、フネは地上の道路の換気口まで続く梯子を見つけた。4月26日にノイケルンで負った足の傷はまだ痛んだが、フネは梯子を登り始めた。登りながらフネは戦闘騒音が聞こえるかどうかを確認したが、梯子の先の地上から聞こえてくるのは重車輌の移動音だけであった。困惑しつつもフネは換気口の蓋を押し上げ、ついに地上の様子を目の当たりにした。 フネの視界には、ありとあらゆる場所に赤軍兵と赤軍車輌がひしめいていた。総統官邸は砲と小火器の攻撃を受けて廃墟と化しており、そしてドイツ国防軍兵士の象徴である灰色の軍服はどこにも見受けられなかった。言葉を失ったフネは梯子を降りていった。 地下鉄駅構内で待つ部下のもとに戻ったフネは部下一同に対し、総統官邸がロシア兵に制圧されていること、総統が間違いなく死んでいることを伝えた。この知らせを聞いた武装親衛隊フランス人義勇兵たちは静かにうなだれ、敗戦を悟った第3中隊長ピエール・ロスタン武装上級曹長は涙を流した。
※この「航空省」の解説は、「アンリ・フネ」の解説の一部です。
「航空省」を含む「アンリ・フネ」の記事については、「アンリ・フネ」の概要を参照ください。
- 航空省のページへのリンク