航空畑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/24 17:26 UTC 版)
「アルフレッド・E・モントゴメリー」の記事における「航空畑」の解説
1922年1月、モントゴメリーは航空を志願してフロリダ州ペンサコーラの海軍飛行学校(英語版)入学し、6月8日にパイロット免許を取得した。航空士官となったモントゴメリーは第2偵察群(VO-2)の副長に就任し、敷設艦「アローストック(英語版)」(USS Aroostook, CM-3)を母艦として偵察行動に任じた。1923年には第1偵察群(VO-1)と第6偵察群(VO-6)の指令を兼任し、水上機母艦「ライト(英語版)」(USS Wright, AV-1)艦長ウォルター・R・ジェラルディ大佐の副長を務めつつ、短期間ながら偵察艦隊の航空隊の指揮を執ったあと、第1雷爆撃機隊(VT-1)司令に就任した。1925年、モントゴメリーはサンディエゴ海軍航空基地に整備監督として赴任するが、翌1926年には空母「ラングレー」(USS Langley, CV-1)航空隊長となって海上勤務に戻り、1929年7月には空母「サラトガ」(USS Saratoga, CV-3)所属の第2雷爆撃機隊(VT-2)司令となった。 1930年8月から1932年5月の間は再び陸上勤務となり、シアトル海軍航空基地(英語版)に着任。1932年7月からは偵察艦隊航空担当士官となり、旗艦を務めていた重巡洋艦「シカゴ」(USS Chicago, CA-29)に乗艦。偵察艦隊での勤務を終えたあとはワシントンD.C.入りし、海軍作戦部や海軍省のオフィスにおいて航空や艦船部門の課長を務めた。1934年7月からはアナコスティア(英語版)のアナコスティア海軍航空基地(英語版)に1936年2月まで勤務した。アナコスティアでの勤務を終えたあとは再度海上勤務に移り、戦闘艦隊司令長官ヘンリー・V・バトラー少将のもとで航空隊司令を務め、バトラーの後任であるフレデリック・J・ホーン(英語版)少将(アナポリス1899年組)のもとでも同じ任務に就いた。1936年11月、モントゴメリーは「レンジャー」に副長として着任し、1938年6月まで乗艦。その後は1938年7月から1939年7月の間、再度のサンディエゴ海軍航空基地勤務となった。
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