海軍の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 15:11 UTC 版)
憲兵からの情報として海軍省は事件発生の一週間前には蜂起部隊の名簿とその襲撃対象を掴んでいたが何等の行動を起こしてはいない。また、事件の経過を詳細に記録している。 襲撃を受けた岡田総理・鈴木侍従長・斎藤内大臣がいずれも海軍出身の大将だったことから、東京市麹町区にあった海軍省は早くも26日午前に反乱部隊に対する徹底抗戦を発令、省舎の警備態勢を臨戦態勢に移した。 もとより海軍では事件の第一報当初より蜂起部隊を「反軍」(反乱軍)と位置付けていた。26日午後には横須賀鎮守府(米内光政司令長官)の海軍陸戦隊4個大隊を芝浦埠頭に上陸させるとともに、第一艦隊を東京湾内に急行させ、27日午後には旗艦「長門」以下各艦の主砲の照準を反乱軍の占拠する都内各地に合わさせた。 この臨戦態勢は大阪にも及び、27日午前には第二艦隊の各艦が大阪港外に投錨した。 また、海軍に対し叛乱軍将兵が自身らの拠点に海軍将校を1名派遣することを要求してきた際に、軍令部部員の岡田為次中佐を派遣させている。
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