紀元前393年のカルタゴ軍シケリア遠征
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「アバカエヌムの戦い」の記事における「紀元前393年のカルタゴ軍シケリア遠征」の解説
カルタゴは常備陸軍を持たないため、軍の編成には時間がかかり、マゴはカルタゴ本国からの援軍を待つ時間はなかった。マゴはシケリアで召集可能なあらゆる兵を用いて軍を編成し、メッセネへ向けて進軍した。タウロメニオンでの敗北後、メッセネのディオニュシオス支援者は追放されていた。アクラガスでも状況は同じであった。したがって、この方面からの脅威は紀元前396年に比較すると少なかった。この遠征の際のカルタゴ海軍の動きは不明で、またマゴがメッセネまでどのような経路を通ったかも不明である。しかし、内陸部のシケル人領域はディオニュシオスと同盟するかあるいはシュラクサイが占領していたために、海岸線に沿って進軍したと思われる。
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