紀元前393年のマゴの動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:23 UTC 版)
「クリサス川の戦い」の記事における「紀元前393年のマゴの動き」の解説
カルタゴは常備陸軍を持たないため、軍の編成には時間がかかり、マゴはカルタゴ本国からの援軍を待つ時間はなかった。マゴはシケリアで召集可能なあらゆる兵を用いて軍を編成し、メッセネへ向けて進軍した。タウロメニオンでの敗北後、メッセネのディオニュシオス支援者は追放されていた。ディオニュシオスはカルタゴ軍がアバカエヌム領を離れる前にこれを捕捉し、アバカエヌム近郊で野戦となった。戦闘の詳細は不明だが、カルタゴ軍は8,000を失うという大敗北を喫した。しかしこの敗北でカルタゴのシケリアにおける勢力は弱まらなかった。カルタゴはマゴに増援軍を送り、次の戦闘の準備が整った。
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