二代浅野百蔵とは? わかりやすく解説

二代浅野百蔵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 15:00 UTC 版)

浅野百蔵」の記事における「二代浅野百蔵」の解説

1864年元治元年10月19日埼玉県児玉郡本庄町質商荒井源次郎長男として生まれる。幼名春吉幼少時に父を亡くし11歳で同町の某荒物店に丁稚となる。同店が閉店に伴い上京し当時日本橋区橘町2丁目浅野家に仕う。誠実で熱心で勤勉であったことから、信用を得、1888年明治21年)に浅野家の養子となり、襲名し百蔵となった以来業務専心し事業軌道乗せた1897年明治30年)に時勢をみて、海外へサンフランシスコ及びシンガポール輸出始め成功する1901年明治34年)潮谷商会は通塩町創業の店から日本橋区4丁目10番地に新築して移転し創業以来15年橘町問屋街間口8間、奥行20間という大規模な店舗新築した1902年明治35年)にスラバヤ支店開設した当時スラバヤには三井物産出張員横竹某が駐在しているだけであった。潮谷洋行が、やがて南方張りめぐらした支店網第1号誕生であった当初取り扱い品は、洋傘、縮シャツ類、縮反物羽二重生地等を主体とした。その後代理店となり、服部時計店(現セイコーホールディングス)の柱時計佐々木ガラス各種ガラス製品、ヒゲタの醤油輸入販売行ったその後陶磁器玩具ネクタイハンカチーフタオル紙ナプキン、靴類、石鹸鳥打帽薬品類まで取り扱いが拡がった。1903年明治36年東京商業会議所(現東京商工会議所議員となる。

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