二代浅野百蔵
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1864年(元治元年)10月19日埼玉県児玉郡本庄町に質商荒井源次郎の長男として生まれる。幼名は春吉。幼少時に父を亡くし、11歳で同町の某荒物店に丁稚となる。同店が閉店に伴い上京し、当時日本橋区元橘町2丁目の浅野家に仕う。誠実で熱心で勤勉であったことから、信用を得、1888年(明治21年)に浅野家の養子となり、襲名して百蔵となった。以来、業務に専心し、事業を軌道に乗せた。1897年(明治30年)に時勢をみて、海外へのサンフランシスコ及びシンガポールへ輸出を始め成功する。1901年(明治34年)潮谷商会は通塩町の創業の店から日本橋区4丁目10番地に新築して移転し、創業以来15年で橘町の問屋街に間口8間、奥行20間という大規模な店舗を新築した。1902年(明治35年)にスラバヤ支店を開設した。当時のスラバヤには三井物産の出張員横竹某が駐在しているだけであった。潮谷洋行が、やがて南方に張りめぐらした支店網の第1号の誕生であった。当初の取り扱い品は、洋傘、縮シャツ類、縮反物、羽二重生地等を主体とした。その後、代理店となり、服部時計店(現セイコーホールディングス)の柱時計、佐々木ガラスの各種ガラス製品、ヒゲタの醤油の輸入販売を行った。その後、陶磁器、玩具、ネクタイ、ハンカチーフ、タオル、紙ナプキン、靴類、石鹸、鳥打帽、薬品類まで取り扱いが拡がった。1903年(明治36年)東京商業会議所(現東京商工会議所)議員となる。
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