二代目007
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 03:15 UTC 版)
「ジョージ・レーゼンビー」の記事における「二代目007」の解説
ショーン・コネリーが映画007シリーズの主演降板を表明し、また、後に三代目を襲名するロジャー・ムーアとの出演契約の断念を受け、イーオン・プロダクションズとユナイテッド・アーティスツは数百人からなる二代目007候補を検討した。結果、レーゼンビーがスクリーンテストに合格した。アクションの上手さをピーター・ハント監督に買われたことが要因だった。1969年にシリーズ第6作『女王陛下の007』でジェームズ・ボンド役に抜擢される。2人のプロデューサーのうち、アルバート・R・ブロッコリよりもハリー・サルツマンが強くレーゼンビーを推した。 撮影中にレーゼンビー本人から、次回作以降の降板を申し出てしまったが、本人が後に「続ければよかった。もう1作続けていれば、さらに7本続いたと思う」と発言する一方で、アルバート・R・ブロッコリは撮影中「この映画がレーゼンビーにとって最初で最後の007になるだろう」と言った。現場での態度も悪く、Q役のデズモンド・リュウェリンは「あいつはスターの振る舞いとは、現場に遅れてくると思ってたようだ」と語っている。レーゼンビーはブロッコリの妻、ダナが関係者を招待したパーティでもトラブルを起こした。ダナは招待状を送る手間を省き、招待者リストを壁に貼った。するとパーティの当日、レーゼンビーは会場の外で無愛想に振る舞った。中へ入るように誘うダナに「俺はスターだぞ!招待状を送るのが礼儀だ」とダナに食ってかかった。するとブロッコリが「自分でスターなんて言っても無意味だ」と諭した。 しかし後年のインタビューでブロッコリは「あれはいい映画だった」と回想し、後にバーバラ・ブロッコリと共にプロデューサーを継いだマイケル・G・ウィルソンも「今でも多くのファンがいるのはうなずける」と言っている。 実際、ロジャー・ムーア時代にはムーアが二代目ボンドと勘違いされるほど存在感が薄かったが、原作ファンによる作品の再評価や、一本しか出演していないプレミア感から、年を重ねるごとに存在感を増している。 2016年現在、歴代最年少のボンドである。
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