二代目「シェイクスピア・アンド・カンパニー」
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「シェイクスピア・アンド・カンパニー書店」の記事における「二代目「シェイクスピア・アンド・カンパニー」」の解説
1951年、アメリカ人のジョージ・ウィットマンによって、もう一つの英語書籍の専門店がまず「レ・ミストラル」という店名で開かれた。初代の「シェイクスピア・アンド・カンパニー」と同様に、この店もまたパリ左岸のボヘミアンたちの文学活動の中心地となり、1950年代にはアレン・ギンスバーグ、グレゴリー・コルソ、ウィリアム・バロウズといったビート・ジェネレーションの作家たちの拠点となった。1962年のシルヴィア・ビーチの死に際して、この店は「シェイクスピア・アンド・カンパニー」を襲名した。店はサン・ミシェル広場やノートルダム寺院にほど近いビュシュリー通り37番地に位置しており、建物はもともと16世紀に修道院として建てられたものであった。 当時の店主ウィットマンは、この書店を「書店に見せかけた社会主義者のユートピア」と表現しており、常連の中にはヘンリー・ミラーなどもいた。この店にはまた13基のベッドを具えた宿泊施設があり、ウィットマンはこれまでに4万人もの人物がここで寝泊りしたと語っている。 現在はジョージ・ウィットマンの娘シルヴィア・ウィットマンが店を切り盛りしており、父に倣って若い作家へ仕事と生活場所を提供している。店内では日曜の茶会や詩の朗読、作家の会合などが常時開かれているほか、二年に一度文学フェスティバル「フェスティバルアンドシーオー(FestivalandCo)」を開催し、ポール・オースター、ジャネット・ウィンターソン、ユン・チアン、マルジャン・サトラピなどの作家がそのホストを務めている
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