作戦前の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/29 23:32 UTC 版)
1941年の独ソ戦開幕来苦戦を強いられていたヨシフ・スターリンは、イギリスおよびアメリカに対してヨーロッパ西部に第二戦線を開くことを強く要求していた。連合軍は1943年7月にシチリア島上陸作戦を、9月にはイタリア本土上陸を行ったが、スターリンはあくまでフランスへの上陸を強く求め、1943年11月に開かれたテヘラン会談において北フランスへの上陸作戦が正式に決定した。翌年6月6日に開始されたノルマンディー上陸作戦により、ようやくスターリンが求めていた第二戦線が開かれた。 連合軍による北フランス上陸作戦が不可避であることはドイツ軍も察知しており、二正面化はもはや避けられない事態に陥っていた。それまでの西部戦線は二線級の部隊の配置・訓練、もしくは壊滅状態になった部隊の再編成の場であった。そのような状態から従来の主戦場である東部戦線から西部戦線に部隊の移動、補充が実施された。さらに、可能な限りの予備が抽出され、西部戦線に送られていた。一方、激しさを増してきた米英両軍によるドイツ本土及び占領地区への空襲に対抗するために、空軍、特に戦闘機部隊が西部戦線に移動されたため、かつてヴェルナー・メルダースの活躍で知られた第51戦闘航空団など一部の精鋭部隊が残ったとはいえ、東部戦線の防空力は大幅に低下していた。
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