作戦前の全般状況
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1943年11月のテヘラン会談で、ルーズベルト、チャーチル、スターリンは、パリを含めた北フランスの解放について、コード名「オーヴァーロード作戦」を実施するという合意に達した。この作戦は、シェルブールからルアーブルの間にあるノルマンディー地方で実施されることとなった。 また、カサブランカ会談(2回目、1943年1月)の決定事項を実行に移すため、連合国遠征軍総司令部 (Supreme Headquarters Allied Expeditionary Force, SHAEF) の総司令官にドワイト・D・アイゼンハワー将軍を任命することが決定された。アイゼンハワーの補佐、連合軍総司令官付参謀長 (Chief of Staff to the Supreme Allied Commander, COSSAC) として、フレデリック・E・モーガン中将が任命され、オーヴァーロード作戦の詳細な立案を行った。地上軍の総指揮官としてバーナード・モントゴメリー将軍が任命された。また、海軍の総指揮官にはバートラム・ラムゼー大将が、空軍の総指揮官にはトラフォード・リー=マロリー将軍が任命された。 オーヴァーロード作戦の最初の段階である、ノルマンディー海岸への橋頭堡形成作戦には、ネプチューン作戦というコード名が付けられた。この作戦自体も、トンガ作戦を含むいくつかの複雑な作戦に分けられた。6月6日を作戦実行日「D-デイ」とし、歩兵部隊の上陸地点は5区画に分割された。これらの詳細についてはノルマンディー上陸作戦を参照のこと。 その両側面に上陸作戦の補助のため空挺降下が実施されることとなった。東側はイギリス陸軍・カナダ陸軍の強行着陸・空挺降下(第6空挺師団・トンガ作戦)、西側はアメリカ陸軍の空挺降下(第82空挺師団・デトロイト作戦と第101空挺師団・シカゴ作戦)である。これらの地点が選ばれたのは、次の条件を満たすためである。 反攻を受けないように緊要地形を確保する 船団・上陸舟艇・海岸の上陸部隊が砲撃を受けないように砲台を破壊する 以上により、上陸部隊の側面を確保する 地域を制圧して、ドイツ軍の組織的な反撃攻勢を阻止する
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