捜索活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/28 15:10 UTC 版)
バス遭難が明らかになってまもなく、出海櫛生間の県道から見える海中にバスのシャーシが発見された。荒波にもまれたバスは原形を留めずばらばらになり、あらゆる部品は岸辺に打ち寄せられていた。29日の捜索では遺体は全く見つからず、乗客が身につけていたマフラーが見つかったばかりであった。遺族は長浜町の水元旅館(現存しない)を連絡場所として定め、捜索の進展を待った。 同夜は大洲署員、地元消防団員ら約200名による徹夜の捜索が行われ、明けて30日朝からは潜水士も加わり、また地元櫛生漁協の網を使った捜索も始まった。30日午前までに、事故発覚のきっかけとなった出海中学校教諭、次いで運転士の遺体が引き揚げられた。事故時の衝撃によってか波をうけたことによってか、遺体の顔はゆがんでいたとされる。 30日午後には捜索作業に海上保安庁巡視船や地元の漁船も加わった。その結果、さらに乗客2名の遺体が収容された。31日午後にも干潮を利用した捜索で乗客2名の遺体が収容、2月4日までにさらに乗客2名の遺体が収容され、運転士と全乗客の遺体が発見された。しかしついに車掌は発見されないまま、2月5日、捜索は打ち切られることとなった(ただ、後年に編纂された年史類の年表の記述では、車掌も含めて死者は9名とされている)。
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