H部隊で
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その後ロドニーはアメリカ合衆国のマサチューセッツ州ボストンで主機の修理を受ける。9月にジブラルタルでH部隊 (Force H) に配属されたロドニーは、マルタ島への輸送船団を護衛する(ハルバード作戦)。戦艦3隻(プリンス・オブ・ウェールズ、ネルソン、ロドニー)と空母アーク・ロイヤル (HMS Ark Royal, 91) が参加する大規模輸送作戦であった。輸送作戦は成功し、マルタは急速に立ち直った。 11月に帰国し、一ヶ月間アイスランドに配置された。その後1942年(昭和17年)5月まで修理、改修が行われた。作業完了後、H部隊に復帰する。マルタ島攻防戦で窮地に陥っていたイギリス軍は、ジブラルタルからマルタへむかう輸送船団を編成した。ネルソン級2隻と空母3隻(ヴィクトリアス、インドミタブル、イーグル)などは、8月中旬のペデスタル作戦に参加した。このペデスタル作戦以後、マルタ島の防備は盤石になった。10月下旬、連合軍は第二次エル・アラメイン会戦でロンメル元帥が率いる枢軸軍に勝利する。11月上旬、ロドニーはトーチ作戦に参加した。 北アフリカ戦線で連合軍の優勢が明確になると、1943年(昭和18年)7月のハスキー作戦にともなうシチリア島上陸、サレルノ上陸の支援を行う。同年10月からは本国艦隊に所属し、1944年(昭和19年)6月にはノルマンディ上陸作戦に参加、カーンとオルダニー島への攻撃を行った。9月にはムルマンスクへの船団護衛任務に従事した。 ロドニーは、1942年以降オーバーホールなしで156,000海里以上の距離を航海した。頻繁な機械故障および姉妹艦のネルソンとは異なり近代化が行われなかったこともあり、ロドニーはスカパ・フローで予備役となり、乗組員は新型艦に配属された。なお1944年12月のクリスマス週間の食事メニューが残っている。ロドニーは1948年(昭和23年)2月にスクラップとして売却されるまで同所で保管された。その後3月26日にインバーキーシングで解体が開始された。
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