サン=ナゼール強襲とは? わかりやすく解説

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サン=ナゼール強襲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/23 00:02 UTC 版)

サン=ナゼール強襲(St Nazaire Raid)またはチャリオット作戦(Operation Chariot)は、第二次世界大戦中にイギリス軍が展開した特殊作戦である。1942年3月28日、イギリス軍はドイツ占領下のフランスにて厳重に警備されていたサン=ナゼール港の乾ドック、通称「ノルマンディ・ドック英語版」を海上から強襲した。この作戦は合同作戦司令部英語版による援護の元、イギリス海軍およびブリティッシュ・コマンドスによって遂行された。ノルマンディ・ドックは大西洋沿岸において戦艦「ティルピッツ」などドイツ海軍の大型艦艇を修理しうる唯一の施設であり、これを破壊することで修理を必要としている多くのドイツ海軍艦艇にドイツ本土への移動を強いる事が期待された。


補足

  1. ^ ソースによって数字が異なる。英政府官報ロンドン・ガゼッタには英海軍本部の発表に基づく海軍将兵353名およびコマンドス268名という数字が記されている[2]
  2. ^ bassin とは「ドック」、「船渠」を意味する。
  3. ^ 通常、機動艇は前方1門の3ポンド砲英語版と後方1門の連装ルイス機銃、および爆雷12発で武装した[21]
  4. ^ 第22旅団は、第703、第705、第809海軍高射砲大隊の3個大隊から構成されていた[28]
  5. ^ ドイツ海軍の水雷艇は、連合軍のものに比べて大型かつ高い火力と防御力を備えていたことから、連合軍では小型の駆逐艦に相当する艦艇と捉えていた[35]
  6. ^ 本作戦に参加した小型舟艇乗員のうち、44人がDSOを受章し、19名が作戦参加表彰状(MID)を受けた[51]

出典

  1. ^ Dorrian, p.114
  2. ^ a b c d "No. 38086". The London Gazette (Supplement) (英語). 30 September 1947. pp. 4633–4640. 2010年8月12日閲覧
  3. ^ a b Ford, p. 7
  4. ^ Mountbatten, p. 71
  5. ^ a b Hinsley et al., p. 192
  6. ^ a b Ford, p. 10
  7. ^ a b Ford, p. 13
  8. ^ a b Ford, p. 15
  9. ^ a b c Ford, p. 14
  10. ^ Mountbatten, p. 72
  11. ^ a b Bradham, p. 33
  12. ^ a b c d e f Bradham, p. 34
  13. ^ a b c d HMS Campbeltown Commemorates the Raid on St Nazaire 28 March 1942”. Royal Navy. 2010年8月6日閲覧。
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  30. ^ Ford, pp. 29–30
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  39. ^ Ford, p. 38
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  47. ^ a b Bradham, p. 41
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  51. ^ Medals Awarded”. St Nazaire Society. 2010年8月12日閲覧。
  52. ^ St George Saunders, p. 96
  53. ^ Neillands, p. 52
  54. ^ Zetterling & Tamelander, p. 84
  55. ^ Mountbatten, p. 85
  56. ^ "No. 37134". The London Gazette (Supplement) (英語). 15 June 1945. p. 3172. 2010年4月24日閲覧
  57. ^ Zetterling & Tamelander, p. 83
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  59. ^ Mountbatten, p. 89
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  66. ^ Imperial War Museum, collections reference number: C3398
  67. ^ Zetterling, & Tamelander, p. 86
  68. ^ Ford, p. 89
  69. ^ Harrison, p. 135
  70. ^ Zaloga, pp. 7–9
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  72. ^ Moreman, p. 94
  73. ^ Homepage of the St Nazaire Society”. St. Nazaire Society. 2010年8月7日閲覧。
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  76. ^ Ship's Bell”. Royal Navy. 2010年8月7日閲覧。
  77. ^ The National Memorial Aboretum”. St. Nazaire Society. 2010年8月11日閲覧。
  78. ^ Jeremy Clarkson: Greatest Raid of All Time - IMDb(英語)
  79. ^ Internet Movie Database (IMDb) - Gift Horse (1952) - Trivia
  80. ^ IMDb "Attack on the Iron Coast"
  81. ^ IMDb "Medal of Honor: European Assault"
  82. ^ Bradham, pp.35–36



サン=ナゼール強襲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/11 14:48 UTC 版)

キャンベルタウン (駆逐艦)」の記事における「サン=ナゼール強襲」の解説

詳細は「サン=ナゼール強襲」を参照 1月よりデボンポートにてドック入りして修理を受ける。この修理工事最中、サン=ナゼール強襲(チャリオット作戦)への投入決定し、これに向けた改修を施す為、キャンベルタウン通常任務から離脱した1942年当時連合軍では輸送船団対す大きな脅威となりうる独戦艦ティルピッツ大西洋進出警戒し、これを阻止する手段模索していた。そして大西洋沿岸唯一ティルピッツ拠点となりうるのはノルマンディ・ドック(英語版)の通称知られる大型乾ドック備えサン=ナゼールのみであり、仮にこれを破壊したならばドイツ海軍ティルピッツ大西洋進出断念するであろう結論づけられた。こうしてチャリオット作戦立案されたのであるチャリオット作戦における当初の計画では、まず爆薬満載した艦船火船)をドックゲート突入する。これと共にコマンドス小型舟艇用いて上陸港湾施設破壊遂行する。そして乗組員およびコマンドス撤退した後に火船自爆させ、ドック能力喪失させる事となっていた。火船としての投入決定したキャンベルタウンは、2月通じて改修を受ける事になったこの際第3および第4煙突は完全に除去され、残る第1および第2煙突ドイツ海軍艦艇似せて切り詰められた。また武装前方主砲12ポンド速射砲英語版)1門とエリコン20mm高射機関砲8門に変更され艦橋などに増加装甲施された。さらに大幅な軽量化が必要とされた為、艦内居住区等は完全に除去された。 自爆用の爆薬としては、アマトール爆薬4.5 米トン (4.1 t)(マークVII爆雷24個)が用意された。これを収めた容器前方主砲支柱取り付けられ起爆時間を8時間後にセットした複数鉛筆型起爆装置英語版)がこれに接続されていた。3月25日キャンベルタウン始めとする作戦艦艇群がファルマスから出港したキャンベルタウンには艦長スティーヴン・ハルデン・ビーティ(英語版少佐下乗組員およびコマンドス隊員合計75名が搭乗したキャンベルタウンと共に出港したのは16隻のフェアマイルB型機動艇英語版)と1隻の高速魚雷艇、1隻のフェアマイルC型機動砲艇英語版)で、このうち機動砲艇作戦における前線指揮所たる役割与えられていた。また3月26日14時には作戦艦艇群の護衛を行うべくハント級駆逐艦2隻がファルマスから出港している。途中ドイツ潜水艦U-593(ドイツ語版)と遭遇しているが、同艦が艦隊航路規模誤って報告した為に以後大きな妨害を受けなかった。また機動艇のうち1隻は機械的故障により英本土へ帰還余儀なくされた。 強襲開始先立って35機のホイットレイ爆撃機25機のウェリントン爆撃機による予備爆撃実行されたが、これは天候悪化などの理由からごく小規模かつ短時間爆撃し遂行できなかったばかりか、サン=ナゼール警備を行うドイツ軍守備隊警戒高め結果となった。しかし別作戦で入手されていたドイツ海軍識別信号用いた事もあり、ドイツ海軍旗を掲げたキャンベルタウン先頭とする作戦艦艇群は軍港から1 mi (1.6 km)以下の距離にまで接近したその後ドイツ軍による砲撃が始まるとキャンベルタウンドイツ海軍旗を降下させ、英海軍旗を掲げた砲撃は最も大きな標的であるキャンベルタウン集中して行われた3月28日0134分、計画から4分遅れてキャンベルタウンドックゲートへの突入果たした搭乗していた乗組員コマンドス隊員らはまもなく下船しドック内の港湾設備破壊着手した。この作戦参加した将兵611名のうち、162名が殺害された。またそのうち64名がコマンドス隊員で、105名が海軍将兵であった生存者のうち215名は捕虜となり、222名は残存小型舟艇用いて離脱した生存者のうち5名は包囲突破してフランスおよびスペイン経由してジブラルタルへと逃れた[リンク切れ]。 3月28日正午予定より1時間半遅れでキャンベルタウンが大爆発起こした。これに先立ちドイツ兵らが艦内捜索行っていたが爆薬発見されていなかった。爆発により調査為に乗り込んでいたドイツ軍将兵およびフランス人作業員250名が死亡した。さらに爆発キャンベルタウン船体前半分を完全に吹き飛ばし、これと共に160 米トン (150 t)の規模を誇る乾ドックケーソン破壊された。これによりノルマンディ・ドックは完全に水没し第二次世界大戦残りの期間を通じてその機能喪失した。再びドックとしての機能取り戻すのは1947年になってからであった3月30日16時30分、高速魚雷艇により発射され遅延信管魚雷予定通り爆発する。この爆発ドイツ軍守備隊2度目襲撃発生誤認させてパニック引き起こし同士討ちフランス人市民との衝突招いた16人のフランス人がこの混乱の中で殺害され31人が負傷した。さらに1,500人の市民何ら無関係であるにも関わらず襲撃への関与疑われ逮捕された。キャンベルタウン艦長ビーティ少佐捕虜となったが、後にヴィクトリア十字章送られた。また1947年にはフランスからレジオンドヌール勲章贈られている。ビーティ少佐含めて、この作戦参加した軍人のうち89名が何らかの勲章等受章したサン=ナゼール港への突入後の様子 ドイツ軍によって調査されている。 この数時間後にキャンベルタウンは大爆発起こしてドックを完全に破壊した

※この「サン=ナゼール強襲」の解説は、「キャンベルタウン (駆逐艦)」の解説の一部です。
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