サン=ナゼール強襲
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サン=ナゼール強襲(St Nazaire Raid)またはチャリオット作戦(Operation Chariot)は、第二次世界大戦中にイギリス軍が展開した特殊作戦である。1942年3月28日、イギリス軍はドイツ占領下のフランスにて厳重に警備されていたサン=ナゼール港の乾ドック、通称「ノルマンディ・ドック」を海上から強襲した。この作戦は合同作戦司令部による援護の元、イギリス海軍およびブリティッシュ・コマンドスによって遂行された。ノルマンディ・ドックは大西洋沿岸において戦艦「ティルピッツ」などドイツ海軍の大型艦艇を修理しうる唯一の施設であり、これを破壊することで修理を必要としている多くのドイツ海軍艦艇にドイツ本土への移動を強いる事が期待された。
補足
- ^ ソースによって数字が異なる。英政府官報ロンドン・ガゼッタには英海軍本部の発表に基づく海軍将兵353名およびコマンドス268名という数字が記されている[2]
- ^ bassin とは「ドック」、「船渠」を意味する。
- ^ 通常、機動艇は前方1門の3ポンド砲と後方1門の連装ルイス機銃、および爆雷12発で武装した[21]。
- ^ 第22旅団は、第703、第705、第809海軍高射砲大隊の3個大隊から構成されていた[28]
- ^ ドイツ海軍の水雷艇は、連合軍のものに比べて大型かつ高い火力と防御力を備えていたことから、連合軍では小型の駆逐艦に相当する艦艇と捉えていた[35]。
- ^ 本作戦に参加した小型舟艇乗員のうち、44人がDSOを受章し、19名が作戦参加表彰状(MID)を受けた[51]。
出典
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サン=ナゼール強襲
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「キャンベルタウン (駆逐艦)」の記事における「サン=ナゼール強襲」の解説
詳細は「サン=ナゼール強襲」を参照 1月よりデボンポートにてドック入りして修理を受ける。この修理工事の最中、サン=ナゼール強襲(チャリオット作戦)への投入が決定し、これに向けた改修を施す為、キャンベルタウンは通常任務から離脱した。1942年当時、連合軍では輸送船団に対する大きな脅威となりうる独戦艦ティルピッツの大西洋進出を警戒し、これを阻止する手段を模索していた。そして大西洋沿岸で唯一ティルピッツの拠点となりうるのはノルマンディ・ドック(英語版)の通称で知られる大型乾ドックを備えるサン=ナゼールのみであり、仮にこれを破壊したならばドイツ海軍がティルピッツの大西洋進出を断念するであろうと結論づけられた。こうしてチャリオット作戦が立案されたのである。 チャリオット作戦における当初の計画では、まず爆薬を満載した艦船(火船)をドックのゲートに突入する。これと共にコマンドスが小型舟艇を用いて上陸、港湾施設の破壊を遂行する。そして乗組員およびコマンドスが撤退した後に火船を自爆させ、ドックの能力を喪失させる事となっていた。火船としての投入が決定したキャンベルタウンは、2月を通じて改修を受ける事になった。この際に第3および第4煙突は完全に除去され、残る第1および第2煙突はドイツ海軍の艦艇に似せて切り詰められた。また武装も前方主砲軽12ポンド速射砲(英語版)1門とエリコン20mm高射機関砲8門に変更され、艦橋などに増加装甲が施された。さらに大幅な軽量化が必要とされた為、艦内の居住区等は完全に除去された。 自爆用の爆薬としては、アマトール爆薬4.5 米トン (4.1 t)(マークVII爆雷24個)が用意された。これを収めた容器は前方主砲支柱に取り付けられ、起爆時間を8時間後にセットした複数の鉛筆型起爆装置(英語版)がこれに接続されていた。3月25日、キャンベルタウンを始めとする作戦艦艇群がファルマスから出港した。キャンベルタウンには艦長スティーヴン・ハルデン・ビーティ(英語版)少佐以下乗組員およびコマンドス隊員の合計75名が搭乗した。 キャンベルタウンと共に出港したのは16隻のフェアマイルB型機動艇(英語版)と1隻の高速魚雷艇、1隻のフェアマイルC型機動砲艇(英語版)で、このうち機動砲艇は作戦における前線指揮所たる役割を与えられていた。また3月26日14時には作戦艦艇群の護衛を行うべくハント級駆逐艦2隻がファルマスから出港している。途中、ドイツ潜水艦U-593(ドイツ語版)と遭遇しているが、同艦が艦隊の航路と規模を誤って報告した為に以後は大きな妨害を受けなかった。また機動艇のうち1隻は機械的故障により英本土への帰還を余儀なくされた。 強襲の開始に先立って35機のホイットレイ爆撃機と25機のウェリントン爆撃機による予備爆撃が実行されたが、これは天候悪化などの理由からごく小規模かつ短時間の爆撃しか遂行できなかったばかりか、サン=ナゼールの警備を行うドイツ軍守備隊の警戒を高める結果となった。しかし別作戦で入手されていたドイツ海軍の識別信号を用いた事もあり、ドイツ海軍旗を掲げたキャンベルタウンを先頭とする作戦艦艇群は軍港から1 mi (1.6 km)以下の距離にまで接近した。その後、ドイツ軍による砲撃が始まるとキャンベルタウンはドイツ海軍旗を降下させ、英海軍旗を掲げた。砲撃は最も大きな標的であるキャンベルタウンに集中して行われた。 3月28日01時34分、計画から4分遅れてキャンベルタウンはドックのゲートへの突入を果たした。搭乗していた乗組員とコマンドス隊員らはまもなく下船してドック内の港湾設備の破壊に着手した。この作戦に参加した将兵611名のうち、162名が殺害された。またそのうち64名がコマンドス隊員で、105名が海軍将兵であった。生存者のうち215名は捕虜となり、222名は残存の小型舟艇を用いて離脱した。生存者のうち5名は包囲を突破してフランスおよびスペインを経由してジブラルタルへと逃れた[リンク切れ]。 3月28日正午、予定より1時間半遅れでキャンベルタウンが大爆発を起こした。これに先立ちドイツ兵らが艦内の捜索を行っていたが爆薬は発見されていなかった。爆発により調査の為に乗り込んでいたドイツ軍将兵およびフランス人作業員ら250名が死亡した。さらに爆発はキャンベルタウンの船体の前半分を完全に吹き飛ばし、これと共に160 米トン (150 t)の規模を誇る乾ドックのケーソンが破壊された。これによりノルマンディ・ドックは完全に水没し、第二次世界大戦の残りの期間を通じてその機能を喪失した。再びドックとしての機能を取り戻すのは1947年になってからであった。 3月30日16時30分、高速魚雷艇により発射された遅延信管付魚雷が予定通りに爆発する。この爆発はドイツ軍守備隊に2度目の襲撃の発生を誤認させてパニックを引き起こし、同士討ちやフランス人市民との衝突を招いた。16人のフランス人がこの混乱の中で殺害され、31人が負傷した。さらに1,500人の市民は何ら無関係であるにも関わらず襲撃への関与を疑われて逮捕された。キャンベルタウン艦長のビーティ少佐は捕虜となったが、後にヴィクトリア十字章を送られた。また1947年にはフランスからレジオンドヌール勲章が贈られている。ビーティ少佐を含めて、この作戦に参加した軍人のうち89名が何らかの勲章等を受章した。 サン=ナゼール港への突入後の様子 ドイツ軍によって調査されている。 この数時間後にキャンベルタウンは大爆発を起こしてドックを完全に破壊した。
※この「サン=ナゼール強襲」の解説は、「キャンベルタウン (駆逐艦)」の解説の一部です。
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