マークVII
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/03/30 14:08 UTC 版)
「ジャガー・マークVII/VIII/IX」の記事における「マークVII」の解説
1950年10月のロンドン自動車ショーで発表された。先代のマークVとホイールベースは共通で同一シャシーを用いていたが、内容は大幅に近代化された。ちなみに「マークVI」は存在せず「本来はマークVの高性能版のための車名となるはずであったが実現しなかった」とも「ジャガーがライバル視していたベントレーがマークVIIを発表しておりそれに遅れをとることを避けた」とも言われている。 幅広の車体はフェンダーとヘッドライトを車体に完全に統合し、リアオーバーハング延長でトランクスペースを拡大した新デザインで、しかもふくよかなフェンダーラインを残してクラシカルな雰囲気を留めた、ジャガーのオーナーであるウィリアム・ライオンズの作品にふさわしいエレガントなスタイルとなった。実質的な車幅の大幅拡大は、重要な輸出先であるアメリカ市場でのニーズに応じたものである。 エンジンは2年前に同じロンドン自動車ショーで発表され、前年に発売されていたスポーツカー・XK120と共通の直列6気筒DOHC3,442cc・160hp/5,500rpm、27.0kgm/2,500rpmと高性能なXKエンジンがサルーン系として初採用された。元々このエンジンは新型サルーン用として開発されていたのが実現したわけである。この強力なエンジンのおかげで、大柄で背の高いスタイルと1,676kgと重い車体にもかかわらず、当時の高級乗用車としては画期的な、最高速度100mphを超える168km/hを実現した。当時の英国自動車雑誌・「ザ・モーター」によると、最高速は101mph、0-60mph加速13.1秒と、今日でも通用する動力性能を記録している。 ドラム式ブレーキにはサーボアシストが装備された。 当時の新車価格は£1693で、性能の割に割安という戦前からのジャガー車の伝統は守られていた。 第二次世界大戦からのイギリスの復興を象徴する豪華高性能高級車として歓迎され、1954年のマイナーチェンジまでに20,908台が生産され、その多くがアメリカに輸出された。 レーサーとしても使われ、シルバーストン・サーキットでのプロダクションツーリングカーレースで1952年から1956年にかけて5年連続で優勝するなどXK120にもそれほど劣らぬ好成績を収めた。 1953年初頭にはジャガーとして初めてのオートマチックトランスミッションをボルグワーナー製3速で設定した。
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マークVII
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「マーモン・ヘリントン装甲車」の記事における「マークVII」の解説
マークIIIAと同様。
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マーク VII
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マーク Vの車体後部に「タッドポール・テール」を装着して延長し、越壕能力と操縦性能を向上させた型。試作車1輌のみで開発は打ち切りになった。マーク VII 戦車は現存していない。 映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」に、マーク VII 戦車をモデルにしたプロップ(実物大可動模型)が登場。ただし、実際のマーク VIIと異なり、車体上面に旋回砲塔が増設されている。プロップは、全長11m、重量25tで、中古の HYMAC 590 掘削機のシャーシをベースに作られ、ローバーV8エンジン2基を搭載していた。 詳細は「マーク VII 戦車」を参照
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