オールドベリー・トランスミッション・トライアル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 09:17 UTC 版)
「マーク I 戦車」の記事における「オールドベリー・トランスミッション・トライアル」の解説
イギリス軍はマークI系戦車の変速機をより扱いやすいものとすべく、当時の連合国各国の自動車メーカーや自動車技師達に改良案を募り、1917年3月にオールドベリー変速機試験(Oldbury transmission trials)が実施された。試験に参加したのは下記の6つの改良案であった。 マーク II 戦車(ドイツ語版)、ブリティッシュ・ウェスティングハウス(英語版)(英国)のガス・エレクトリック方式 マークII戦車、クロッシェ-コラルドー(英語版)(仏)のガス・エレクトリック方式 マークI戦車試作1号機(Mother)、デイムラー(英国)のガス・エレクトリック方式 マークII戦車、ハーヴェイ・ウィリアムス-レイノルド・ジャーニー共作のアキシャル・ピストンポンプ(英語版)を用いた油圧式動力伝達装置 マークII戦車、ウォルター・ゴードン・ウィルソン(英語版)の遊星歯車式プリセレクタ変速機(英語版) マークII戦車、ウィルキンスの複式クラッチ変速機 なお、アルバート・ジェラルド・スターン(英語版)卿によれば、この試験にはマークI系戦車以外にさらに下記の2台が参加し、総勢8台の異なる駆動伝達方式がテストされたという。 車種不明、Heel-Shaw社の油圧式動力伝達装置 ウィリアム・トリットン(英語版)の二重エンジン試作戦車(後のマーク A ホイペット中戦車) オールドベリー変速機試験の結果、ウィリアムス-ジャーニー式油圧伝達装置の性能が良好であった事から、同年11月のマーク VII 戦車(ドイツ語版)に制式採用されたが、マークVIIはただでさえ駆動系統の構造が複雑だったうえ、1917年末時点でのイギリスの工業生産能力はマークVIIを量産する余力が無いほど限界に達しており、各戦車部隊より74両の注文を受けたが必要台数の生産を行える目処が立たなかった。結局、英国は独力での戦車生産を諦めてアメリカ合衆国からエンジンと変速機を含むパワートレインの供給を受け共同開発したマーク VIII 戦車(英語版)の生産に移行、マークVIIは終戦までに3両が作られたのみで、受注のほとんどはマークVIIIの配備によって賄われた。 オールドベリー変速機試験の成果は、戦車の動力伝達装置としては大きな成功は残せなかったが、この時に開発された機構の多くが戦間期の自動車産業(モータリゼーション)や鉄道産業の振興に役立てられ、第二次世界大戦にて連合国の戦車・車両生産を担う工業力を涵養する事に繋がった。
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