サン=ナボールとは? わかりやすく解説

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サン=ナボール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/30 13:07 UTC 版)

Saint-Nabor

行政
フランス
地域圏 (Région) グラン・テスト地域圏
(département) バ=ラン県
(arrondissement) モルスアイム郡
小郡 (canton) ロサイム小郡
INSEEコード 67428
郵便番号 67530
市長任期 フランソワ・ランツ
2008年-2014年
自治体間連合 (fr) C.C. du canton de Rosheim
人口動態
人口 469人
2009年
人口密度 248人/km2
住民の呼称 Saint-Naborois[1]
地理
座標 北緯48度26分46秒 東経7度25分28秒 / 北緯48.4461度 東経7.4244度 / 48.4461; 7.4244座標: 北緯48度26分46秒 東経7度25分28秒 / 北緯48.4461度 東経7.4244度 / 48.4461; 7.4244
標高 平均:m
最低:265 m
最高:630 m
面積 1.89km2
Saint-Nabor
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サン=ナボールSaint-Nabor)は、フランスグラン・テスト地域圏バ=ラン県コミューン。アルザスがドイツ帝国領であった1871年から1918年までは、17世紀にフランスに併合される以前のドイツ語名ザンクト=ナボル(Sankt-Nabor)となっていた。

地理

サン=ナボールはサント=オディール山の麓にある。ストラスブールの南西30kmのところにある。

歴史

修道院の廃墟

サン=ナボールとは殉教したキリスト教徒の兵士の名である。彼の遺体は764年にメス司教クロドガングによって修道院に納められた。村の存在は、クロドガングがローマから聖ナボールの遺体を移した8世紀に記された。1050年、オエンブール修道院が村を領地とした。サン=ナボールは、今は廃墟となっているニーデルミュンステール修道院に属した。1543年に修道院が解散すると、村はストラスブール大聖堂の参事会に依存し、施設の所有はフランス革命まで続いた。サン=ナボールの教区は1666年まで独立したままであった。

史跡

  • ニーデルミュンステール修道院 - 700年代に聖オディールがオエンブールへ行けない巡礼者のため創設。カール大帝が奇跡の十字架を寄進後、巡礼地となり、1016年以降は修道院長を修道院が選ぶ権利を神聖ローマ皇帝から授けられた。16世紀の宗教改革ドイツ農民戦争で火事にみまわれ廃墟となった。
  • サン=ニコラ礼拝堂 - 巡礼者の施療所付属礼拝堂
  • オットロット=サン=ナボール採石場 - 17世紀以降、ここで採取された固い石は道路工事や鉄道敷設に用いられた

人口統計

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年
215 235 246 351 434 479

参照元:INSEE[2]

脚注

  1. ^ Décision du conseil municipal du 17 décembre 2009
  2. ^ Saint-Nabor sur le site de l'Insee



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