「キャンベルタウン」の爆発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 08:49 UTC 版)
「サン=ナゼール強襲」の記事における「「キャンベルタウン」の爆発」の解説
1942年3月28日正午、「キャンベルタウン」に満載されていた爆薬が爆発、乾ドックが破壊された。ドック内に収容されていたタンカーは水没した(流されただけで沈まなかったとも言われる)。この爆発でキャンベルタウンの調査を行なっていた高級将校および非戦闘員あわせて40名のドイツ人が死亡し、さらに遠巻きに見物していた多数のドイツ海軍将兵が巻き込まれ、全体での死者はおよそ360名に達した。襲撃の数ヶ月後に英空軍偵察機が撮影した航空写真でも、乾ドックの中に放置された「キャンベルタウン」の残骸が確認できる。 襲撃翌日、軍港内の残骸・瓦礫等撤去の為にトート機関から大量の作業員が派遣される。3月30日16時30分、遅延信管を組み込まれていた高速魚雷艇「74号」の魚雷が旧入口で爆発。守備隊は再び襲撃が始まったものと誤認して警報を鳴らし、トート機関の作業員らは作業の手を止めて慌ててドックから逃げ出した。ところが彼らが着用していたカーキ色の作業服が英軍の野戦服と類似していた為、守備隊員によってコマンドス隊員と誤認された作業員数名が射殺された。また、市街でもコマンドス隊員の存在を恐れた守備隊員らが執拗な捜索を行い、数名の住民が殺害された。
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