兵装の変遷とは? わかりやすく解説

兵装の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/27 04:22 UTC 版)

島風 (島風型駆逐艦)」の記事における「兵装の変遷」の解説

島風竣工時より22号(対水上用) 電探を前マスト装備し、後に13号電探後部マスト装備した機銃竣工時に艦橋前に装備した13mm連装機銃を25mm連装変更、25mm連装機銃は同3連装交換した。また2番3番魚雷発射管の間に機銃台を設け25mm3連装機銃2基を装備合計25mm3連装4基、同連装1基となった。単装機銃1944年6月30日調べの「あ号作戦後の兵装増備状況調査」では25mm単装7挺、同据付座7基、13mm単装1挺とされている。その他に爆雷投下軌道(軌条)2組装備された。

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兵装の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 03:21 UTC 版)

初春型駆逐艦」の記事における「兵装の変遷」の解説

1937年昭和12年7月日華事変以降に各艦は大陸方面進出したが、この時は艦橋天蓋に7.7mm機銃搭載したほか、艦橋機銃台に防弾板を設置したと言われる太平洋戦争開戦時兵装は、田村俊夫調査によると各艦開戦直前九三式魚雷搭載できるよう発射管改造魚雷12本を搭載した1942年昭和17年7月沈没した子日開戦時と同じ兵装思われる1943年昭和18年7月沈没した有明夕暮は40mm機銃を25mm連装機銃換装艦橋前に25mm連装機銃1基を増備状況だった。残る3艦は1943年10月までに2番砲(単装砲)を撤去して25mm3連装機銃を1基増備中部機銃台の(40mmから換装した)25mm連装機銃は同3連装機銃換装機銃合計は25mm3連装3基、同連装2基の計11挺とされた。 「あ号作戦後の兵装増備状況調査」によると1944年昭和19年8月から9月時点22号電探前部マストに、13号電探後部マスト装備、その他各艦単装機銃甲板各所に14挺から16挺ほど装備している。

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兵装の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 14:55 UTC 版)

長鯨 (潜水母艦)」の記事における「兵装の変遷」の解説

航空機1927年昭和2年)度に一度搭載し1930年昭和5年)度より常時一四式水上偵察機を1機搭載した射出機搭載されず、デリック水上降ろして運用していた。1940年昭和15年)ころには九四式水上偵察機搭載してたらしい8cm高角砲2基は1940年昭和15年)ころ25mm機銃連装2基と交換されとされる。ただし長鯨乗組員によればラバウル進出時も8㎝高角砲装備しており、対空戦闘幾度も発砲したという。大戦中の機銃増備明らかでないが、艦橋前に25mm機銃連装1基、艦橋両舷に13mm連装機銃各1基を装備した艦橋左舷側の13mm連装機銃公室真上にあり、発砲する騒音部屋にいられなくなった。そこで第七潜水戦隊司令部意向により銃身取り外され銃架は幌で覆われ固縛されていた。その他、1944年昭和19年4月中旬と、1945年昭和20年1月下旬対空兵装増強、25mm単装機銃10挺を増備していたとされる。また1944年昭和19年5月中旬より呉海軍工廠21号電探前部マストトップ装備した。さらに電波探知機装備していた。潜水部隊練習艦であるため、日本海軍標準的な対潜兵器一通り装備していた。

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兵装の変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 16:24 UTC 版)

迅鯨 (潜水母艦)」の記事における「兵装の変遷」の解説

航空機1930年昭和5年)度より一四式水上偵察機を1機搭載した射出機搭載されず、デリック水上降ろして運用していた。1940年昭和15年)ころには九四式水上偵察機搭載してたらしい太平洋戦争中練習艦時代には、水上偵察機関連装備全て撤去していたとされる8cm高角砲2基は1940年昭和15年)ころ25mm機銃連装2基と交換された。ただし。迅鯨乗組員1944年昭和19年)でも艦中央部両舷に8㎝高角砲装備されていたと回想し実際に発射訓練おこなったという。大戦中の機銃増備明らかでないが、艦橋前に25mm機銃連装1基、艦橋両舷に13mm連装機銃装備した。その他、同単装機銃10挺を増備していたとされる。25mm単装機銃装備していなかったという乗組員証言もある。1944年昭和19年)5月下旬には、呉海軍工廠21号電探前部マストトップ装備した。また新造潜水艦爆雷攻撃体験させるため、艦尾付近に訓練用爆雷投下台を備えていた。訓練用九三式水中聴音機装備している。

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