その後の兵装の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:20 UTC 版)
「白鷹 (急設網艦)」の記事における「その後の兵装の変遷」の解説
1940年(昭和15年)に大湊工作部で特定修理を行った際に12mm機銃1挺に換えて13mm連装機銃2基を搭載した(ただし大湊出港時にはまだ搭載されていない)。位置は12mm機銃撤去跡に1基、2番主砲(後部主砲)の直前に1基だった。 1943年(昭和18年)6月の修理時に備砲を四十口径三年式八糎高角砲に換装、25mm機銃の増備、爆雷搭載数増加、爆雷投射機、水中探信儀装備等の改修を実施。同時に敷設関係装備を撤去したとされる。以降は船団護衛任務に従事することになった。1944年(昭和19年)4月にも対空機銃を増備。さらに四十口径八九式十二糎七高角砲装備の要望が出されたが、実施されないまま沈没した。この時(1944年4月)の対空兵装は 8cm単装高角砲2門 25mm連装機銃2基、同単装2基 13mm連装機銃1基 となっていた。また21号電探を艦橋天蓋に装備した。
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