その後の冒険とは? わかりやすく解説

その後の冒険

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 23:34 UTC 版)

堀江謙一」の記事における「その後の冒険」の解説

1978年氷上帆走滑走)する氷上ヨットマーメイド5号』(全長9.5m、幅5mマスト高12m、船殻アルミ合金製、左右両側発泡スチロールフロート設置されており、船体左右フロート底部(そり)が付いている。)で、北極点到達目指し2月14日カナダレゾリュート現地入りし、帆走滑走試験行った。しかし、船体強度不足が判明したこと、また悪天候のため、同年4月11日計画断念した出発に至らなかった。)。 2004年10月1日ヨットSUNTORYマーメイド号』(スループ全長13.1m、幅2.4m、船殻アルミ合金5083(アルミリサイクル材70パーセント使用)製、セイルペットボトルリサイクル材製)で、東回り単独寄港世界一周目指して、兵庫県西宮市新西宮ヨットハーバー出港、翌2005年6月7日に同港に帰還した航海日数251日)。東西両方回り単独寄港世界一周達成したのは日本人初めて、世界でオーストラリア人次いで2人であった2006年7月、「69歳になる2008年春に、波の力だけを動力とする波浪推進船(ウエーブパワーボート)『SUNTORYマーメイドII号』(カタマラン双胴船)、全長9.5m、幅3.5m、船体重量3.0トン船殻アルミ合金製、速力は約3ノット(約6km/h)、2007年5月30日完成)で、約6,000kmあるハワイ - 紀伊水道間の世界初航海挑戦する」と発表した同船は、東海大学海洋学部協力製作された。なお、これは波浪推進船の初の実用航海とされている。2008年3月16日ハワイホノルル沖を出発天候海流などの影響により当初の予定より1か月以上遅れて同年7月4日午後1150分、和歌山県日ノ御埼沖の洋上設定したポイントゴールした航海日数110日){。 2009年学校法人大前学園設置するサポート校専修学校西宮甲英高等学院校長(のちに名誉校長)に就任した同年6月6日長年にわたり海を舞台挑戦し続けていることが評価され兵庫県豊岡市から「植村直己冒険賞 特別賞」が贈られた。 2011年7月15日海洋立国推進功労者として、日本政府から「内閣総理大臣賞」が贈られた。 2021年11月翌年3月から6月にかけてヨットサンフランシスコから新西宮ヨットハーバー向けた単独での太平洋横断挑戦することを発表した2022年3月26日船体が約5.8mの『サントリーマーメイド3号』で出発6月4日未明ゴール設定していた和歌山県日ノ御埼沖の紀伊水道到着

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