その後の兼子眞
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チェッカーモータース売却後は、同社最高顧問に就任。日興アントファクトリーが資本参加した際には、社員幹部の教育や組織運営全般に対する指導を行なっている。また、2002年(平成14年)には、香港・上海・台湾・タイ・シンガポールに海外拠点を持つ人材派遣会社パヒューマ・アジア・カンパニー・リミテッド(株式会社パソナの子会社)の顧問に就任。1970年代にソフトバンクの孫正義、エイチ・アイ・エスの澤田秀雄とともにベンチャー三銃士と称されたパソナ代表取締役グループ代表兼社長の南部靖之の代理として、毎月行なわれるミーティングの議長および相談役を務めていた。しかし2004年(平成16年)、自身の新たな事業の展開を図り、チェッカーモータース、パヒューマ・アジア・カンパニー・リミテッドともに顧問の職を辞している。
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