戦死について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/30 06:07 UTC 版)
1944年に中国で戦死した、とされる。正確な死没地や死没の状況などについては不明。出征後、小川が帰還しないため戦死として認定されて記録されたものと考えられている。 沢村栄治が最初の招集で中国戦線から帰還し、プロボクサーの笹崎僙と対談した記事(オール讀物1940年9月号)の中で「戦場では戦友が次から次へ死に、全然野球の事は考えていなかったが、野戦病院で小川と会い野球を思い出した」と答えている。沢村が中国にいたのは1938年4月から1939年8月までなので、小川は少なくともこの頃までは生きていた事になる(文藝春秋編 1988)。なおこの記事では小川を「現在大阪タイガース所属」と記している。 小川の墓は、神奈川県横浜市鶴見区の總持寺にあり、墓銘には「昭和19年7月11日」と小川の命日が記されている。また、東京ドーム敷地内にある鎮魂の碑に、小川の名が刻まれている。
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