戦死に関する議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/23 05:47 UTC 版)
「ジョン・F・レイノルズ」の記事における「戦死に関する議論」の解説
歴史家達はレイノルズの死について意見の一致を見ていない。例えば死亡時刻(午前10時15分であるか10時40分かまた10時50分)、正確な場所(第2ウィスコンシン歩兵連隊近くの東マクファーソン尾根、あるいは第19インディアナ連隊に近い西マクファーソン尾根)、また銃弾の発射元(南軍の歩兵、南軍の狙撃兵あるいは友軍)などである。主要な証言はレイノルズ配下のチャールズ・S・ベイル軍曹のものであり、1864年の手紙でこの出来事を詳述していたが、45年後に書いた手紙では幾つか矛盾するところがあった。レイノルズの姉妹、ジェニーからの手紙では、傷は首から下に入る弾道になっており、レイノルズは上から撃たれたことを示唆していることは、おそらく木の上か納屋の上にいた狙撃兵の可能性がある。歴史家のブルース・コットンとグレン・タッカーは狙撃兵説を断言している。スティーブン・シアーズは第7テネシー連隊から第2ウィスコンシン連隊に向けた一斉射撃説を採っている。エドウィン・コッディントンは姉妹の手紙を引用し、狙撃兵説が一部信用できるとしているが、シアーズの結論にも傾いている。ヘンリー・W・ファンツは場所が第2ウィスコンシン連隊背後ということに同意しているが、発射元については判断していない。スティーブ・サンダースは『ゲティスバーグ』誌の記事で、幾つかの証言を元に友軍の銃弾の可能性を示唆し、それは敵の銃弾と同じくらい可能性があると結んだ。
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