戦死の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 14:09 UTC 版)
マカロフの戦死はロシア太平洋艦隊の将兵に衝撃を与えたと伝えられる。 日本では戦死したマカロフを哀れむような詩や短歌が新聞に載った。その中で石川啄木は、「マカロフ提督追悼の詩」を1904年6月13日に作って『太陽』8月号に発表し(当時の題は「マカロフ提督追悼」)、翌1905年5月に刊行した詩集『あこがれ』に収録した。この中で啄木は、 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}君を憶へば、身はこれ敵国の東海遠き日本の一詩人、敵乍(なが)らに、苦しき声あげて高く叫ぶよ、(鬼神も跪(ひざま)づけ、敵も味方も汝(な)が矛地に伏せて、マカロフが名に暫しは鎮まれよ。)ああ偉いなる敗将、軍神の選びに入れる露西亜の孤英雄、無情の風はまことに君が身に まこと無情の翼をひろげき、と。 と敵将の死を悼んだ。この作品について、山本健吉が「敵ながらあっぱれと称賛する姿勢」と評したのに対して、岩城之徳は啄木の姿勢は「あっぱれ」の原義である「あはれ」に含まれる同情ではなく、「孤英雄」と表現したマカロフを「死を恐れず雄々しく戦った」人物として描き、同時代の日本の詩歌作品と異なる点を指摘している。 アメリカに特使として派遣され、広報外交を行っていた金子堅太郎は、演説の中でマカロフへの哀悼のコメントを発し、アメリカ世論からの支持を取り付けることに成功した[要ページ番号][要ページ番号]。 マカロフを顕彰する記念碑が、生地であるウクライナのムィコラーイウやロシアのウラジオストクにある他、いくつかの艦船にはアドミラル・マカロフ(マカロフ提督)の船名がつけられている。クロンシュタット軍港の銅像に付された詩文は石川啄木の詩が原典ではないかと言われたことがあったが、研究者の現地調査により、ロシア人の詩人による作であると確認されている。
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